第7回(最終回) 今の日本の繁栄を支えるもの |
〜帰国後、すぐに向かった靖国神社〜 |
|
松山市公立小学校教諭 藤井田 美代 |
今年に入ってから寒さの厳しかった冬も、もうすぐ彼岸を迎える。桜の咲く便りが聞けるのも、近いだろう。昨年私が2年ぶりに帰国したのもこの頃だった。
30年近く何度も見てきたいつもと変わらない春のはずなのに、その年の桜の咲く季節は、初めての五番目の季節のように新鮮で感動的に感じられたのはなぜだろう。見るもの、聞くもの、触るもの、感じるもの・・・何もかもに感動したことは、第1回で述べさせてもらった通りである。
私は帰国したら、まず靖国神社へ行こうと心に決めてきた。温かいお湯に浸かる前に、繊細で上品な日本食を頂く前に、電気洗濯機でポンと簡単に洗濯を始める前に・・・なにはともあれ、まず、靖国神社へ足を運ばなくては罰が当たる、いてもたってもおれない気持ちだった。
若い(?)私は、この日本の豊かさの根拠を知らない。生まれてきたら、いきなり豊かだったのだから。身の回りの豊かな品々、高度な精神文化、これらを生まれたときから当たり前に享受することができた環境、それらのない生活をして初めて、私はそのありがたさを知った。60年前、マッカーサーに「日本は12歳の少年だ。」などと言われた日本が、戦禍の中で焦土と化し敗戦のどん底から這い上がった日本が、今では世界有数の大都市を出現させ、世界第1,2位のGDPを誇る国になり、ここ十数年来は世界第1位のODAを拠出し続けてきた経済超大国にもなった。その復興から高度成長への歩み、日本国籍の国際的な信頼構築の歩みを考えると、私は震えるような感動と、国を支えてきた先人たちに言葉にならない尊崇の念で胸がつまる。
日本には古来から、自然の豊かな島国で培われた八百万のカミを讃える心や、大和魂があった。過去の大戦では命を賭して国を守る英霊がいた。高度経済成長期には、没我して社会や会社のために尽くした先人、先輩がいた・・・。そして蓄積されたその魂の上に、今の日本の繁栄があるのだ。今の自分が、今ここに在るのもしかり。日本の協力隊員として2年間を無事過ごして、今ここに帰国できたのもしかり。
私は盲目的に日本のよさばかりを見ていたくはないし、唱えたくはない。奢りは全く不必要な代物だが、自国へのいたずらな劣等感や卑下は必要ないだろう。自国への尊厳や誇り、愛国心を持つこと、そしてそれらを意思表示することは決して「右」なのではなく、国民として当たり前の世界的感覚なのだ。
私は日本人として生まれたことを、心から誇りに思う。
任期終了後は、日本がたとえ今のような経済大国でなくてもいいから、私の愛する日本が世界から尊敬される国であり続けるよう(になるよう)微力ではあるが、国や社会のために働きたい。司馬史観ではなく、その時代の人々が必死の思いで決断し実行した歴史の上にある今の日本とその歴史、私はそれを誇りに思う。
私はその思いと感謝を胸に、靖国神社へ向かった。 |