連載「日本体感温度
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〜青年海外協力隊活動を終えて〜」 |
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松山市公立小学校教諭 藤井田 美代
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『改正道路交通法11月1日より施行。それにともない運転中の携帯電話について、
全国で一斉呼びかけと、取り締まり』『お客様のお荷物、○時にお届けに上がりま
す。』日本では、法は施行日から国内隅々まで確実に機能し始め、各民間サービス
は、客との取り決め事をしっかり守る。個人との関係においても、約束事は守るの
が当たり前。公衆道徳やマナーも甚だしく乱されることもない。しかしこれらの「
当然」だとおもっていたことを、私が「日本ならではのこと」と認識できるように
なったのは、任国に着任してからである。
例えばある露店で売られている食べ物を買おうとする。売り切れたとき店員は「
後15分くらい待って。」と言い残して立ち去る。その当時、当然私は信用して言
われたまま待っていた。だが、待てども待てども店員は戻ってこない。任地で親し
くなった人と休日に会う約束をする。私は約束の時間に場所へ行って待っていた。
夕方までまったけれども、結局その日彼女は現れなかった。人と会う約束をしても
、2・3時間待たされることは当たり前。場合によっては、約束そのものが忘れ去
られていることも珍しくない。首都で道を歩いていると、タクシーが「乗りなぁ〜
」と言いながら近づいてくる。客引きタクシーでは、行き先を告げても「オケー、
分かった。」と言いつつ全く違うところへ運び、挙げ句に「お前が悪い」と言い、
決して「自分が間違っている」とは言わない。大きなゴミでもバスの窓から投げ捨
てて当たり前。自分から不要な物が手放せれば、安心するかのように、とにかくど
こにでもゴミを捨てる。食事中のマナーのなさ、他人の物でもひと言かけるわけで
もなく拝借して当然の空気。学校の授業日数や開校日は法的に定められているが、
実際の現場では全く守られていない。銃の所持には届け出と許可書が必要だが、私
が知っているだけでも不法所持者は何人もいた。
法治国家と言いながらも、末端ではそれが機能していない。社会そのものの不安
定さから、法そのものの妥当性がないからか。しかし人々の中に規則や決まり、約
束やマナーを守ることに高い価値をおくか否か、その結果の表われが大きいのでは
ないか。当然、国民性は歴史的経過を背負っている。それによって生まれた国民性
ではあるだろう。異文化人である私はそれを理解しなければならない。
しかしそれを考慮した上で、私はある覚悟をした。周りの人達がそうではなくて
も自分は流されずに時間を守り、約束を守り、他人の物は勝手に借りず、『ゴミ拾
い隊作戦』(通勤途中を利用して町のゴミを拾って歩く、自分一人からの作戦。人
々への意識喚起と啓蒙を目的として思いついた。)を継続し、食事の前はいただき
ますを言い・・・誠実に日本人の心を信じて生活しよう。約束の時間に人が来ない
と分かっていても、怒らずじっと待っていよう、ゴミ拾いを異様な目で見られても
続けよう。ここにそういった日本人が住んでいたというだけでも、何か意識づけら
れるのではないか。ホンジュラスは途上国として、各国(日本はアメリカと並んで
第1・2の援助国である)の援助を受け続けながら貧困からの脱却、経済発展を進
めようとしている。彼らが本気で自助努力による発展を望むならば、人としての基
本的なことから実行していくべきではないだろうか。
無条件の信頼関係が漂っているような日本の社会ではない、いつとるかとられる
か潜在的危険にさらされている社会では、私のような考えは無知なお人好し、無防
備極まりないことかもしれない。しかし時間はかかってもこの「日本人の心」は必
ず通じる。また日本人としての気概と誇りを失わないで生きること、それが草の根
協力隊活動の原点でもあると思った。
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