防衛の現実と憲法
日本会議愛媛県本部会長
 重 松 惠 三
重松会長  六十三年前、昭和二十二年五月三日、日本国憲法が施行されました。その二年前の昭和二十年八月十五日、大東亜戦争に敗れた日本は連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の占領下にありました。

 岸信介総理大臣は、後年「連合国の初期の占領政策の基本は、戦争責任はすべて日本国民に負わせ、困難や屈辱のすべては自業自得、東京裁判はショウ、日本人の精神構造の変革、骨抜き、モラルの破壊を策し、その集大成が憲法」と言っています。日本無力化を目的とし、わが国の政治、行政、経済、産業、教育、宗教、はもとより社会、家庭の構造に至るまで大変革を強いる占領政策。「新植民地的軍事独裁政治」とする評価があります。そのような状況の中で、GHQは平和主義、民主主義の名を被せ、九日間で案を仕上げ、天皇の身辺に及ぶ問題をちらつかせながら日本政府に押し付けたものでした。手続きは明治憲法の改正を装いました。それから 長い時間が経ちました。時は移ろい、人また変わる。憲法は一度も改まることなく今日に至ります。現実と憲法に奇妙な「ちぐはぐ」がいろいろと見えて参りました。その最たるものは「防衛」に関することでありましょう。

一、社会民主党党首
  福島瑞穂大臣の自衛隊認識についての
                     奇怪な答弁

 三月、国会の衆参両院で「自衛隊は違憲ですか合憲ですか」と問われた福島大臣は「党としては決めていない」「閣僚としては答えられない」との答弁拒否に国会は紛糾しました。政府としては自衛隊を合憲とし、自らが閣僚として署名した平成二十二年度予算には防衛予算四兆六八〇〇億円。自衛隊員の人件費、戦車 艦艇など装備品調達の手当ても当然含まれています。にも拘わらずこの答弁です。政府がどうあれ、国家が法律を以って防衛の任務を課した自衛隊を違憲とする党があり、その党首が閣僚を務める。これほどの「ちぐはぐ」がありましょうか。憲法は国家の基本法、国防は国家存立の基盤。共に国家の基をなすものです。政治理念も国家の基本にも整合なき政府の実態が浮かび上がって参ります。

二、憲法と自衛隊の現実
(一) 憲法の中の「防衛」。あなた任せの平和主義、
            国を守る力は無くていいのか

 防衛については、憲法の前文と第九条をあらためて考えたいと思います。前文では国民が「決意した」との記述が二ヶ所あります。一つは「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないように」もう一つは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれわれの安全と生存を保持しようと」決意した。前者はともかく後者は石原東京都知事が嘗て国会で、囲われものの心情と批判しましたが、確かに自らの安全と生存を、他に委ねることは自己否定に通じ、国家としてまた国民としての尊厳や誇り、自立不羈の気概はそこにはありません。この前文を受けて第九条は一項に於いて「国権の発動たる戦争、武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」とあり、これを侵略戦争とし二項では、そのための「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は認めない」とします。歴代政府は「我が国が独立国である以上主権国家として固有の自衛権を否定するものではなく、その行使を裏付ける自衛のための最小限の実力を保持することは憲法上認められる」とします。侵略戦争は放棄した、その反対解釈として自衛戦争は認められる。そのための実力の保持を是とすると言う難しい論理やややこしい説明がなければ国家防衛のための組織と人がその存在を否定されるような法的環境におかれていることは異様なことであり、政治の怠慢というほかありません。

(二)自衛隊の任務・行動

 憲法の条文はともかく、人員二十三万人、艦艇百五十隻、航空機千二百機を擁する自衛隊は、国家が自衛隊法を以って、「直接及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし必要に応じ公共の秩序の維持に当たる。また周辺事態や国際協力に対応する」ことを命じ、その行動は防衛出動、治安出動、海上警備、海賊対処、領空侵犯措置、ミサイル措置、地震・原子力を含む災害派遣、海上保安庁の統制、警護行動などのほか、土木工事、南極観測、運動競技会支援、国賓輸送も自衛隊が国家に対して為すべき仕事としています。その行動は非常に危険なこともあり、多岐に亘ります。憲法の平和主義と防衛・自衛隊の現実を前に、政府がいくら説明を重ねても福島大臣のようなそれに納得しない人が絶えない現状です。極めて危険な日本の「ちぐはぐ」です。

(三)三十八年間の自衛官、
      憲法との関わりに思い出すこと二つ三つ

 防大生の頃、酔っ払いに「税金泥棒」と絡まれたことがありますが、今はこの国のトップが脱税王と言われる妙な世になりました。また昭和三十三年、女優の有馬稲子さんの防大訪問の直後に、大江健三郎氏が毎日新聞のコラムに「防大生は同世代の恥辱」と書きました。何と卑しき言葉を使うものかと、その品性の乏しきを情けなく思いました。
* 今も強い憤りに胸の滾る思いが蘇ることがあります。それは沖縄返還に伴い、部隊を配置した際のことです。沖縄の市町村で転入届を受け付けない。したがって子供の転入校も出来ないという事態がありました。窓口では「自衛隊は憲法違反だから、自衛官も憲法違反、憲法違反は一般行政サービスの埒外に置かれても仕方ない」と言う乱暴なことでした。十ヶ月続きました。これは当時 横浜市 長、後の社会党党首 飛鳥田一雄全国革新市長会長の指示によるものと言われました。そうでしょう。 立川市 でも同様のことが起こりました。役場には自治労、学校には日教組がこの運動の主軸となっておりました。口では護憲を謳い、人権を訴え、自由と平和を称揚する人々の実態をここに見ました。憲法に違反し人権を無視して憚らない人たちが現政権を支える。自治労・日教組。日本の明日はどうなるのか。

*イラクへの自衛隊派遣についてもOBの一人として気に懸かることがありました。
派遣するか、しないか、大変な論争がありましたが、小泉首相は憲法の隙間を派遣の根拠としました。それは前文の「・・・国際社会において名誉ある地位を占める」「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない・・・・・各国の責務」はこの憲法の精神を消極的な平和主義や一国平和主義ではなく、積極的能動的な平和主義であることを示すものである。これを隙間と言いました。隙間を使って送り出す方はともかく、隙間に使われる自衛隊はたまりません。憲法の制約から三つの大きい問題がありました。一つは武器使用の制限です。正当防衛、緊急避難以外では人に危害を加えてはならないとする警察官職務執行法の準用で、テロが常態化しているイラクでの復興支援人道支援です。人に危害を加えてはならないと言うが、これでは隊員に降りかかる危害からは自身を守ることも覚束ない。二つ目は「非戦闘地域」です。宿営地にロケット弾や迫撃砲弾が打ち込まれたことがあり、車列に銃撃を受けました。テロが日常茶飯事、到るところで爆薬破裂、武装勢力の攻撃がある。イラク中が戦闘地域でしたが、国会では「自衛隊は外地で戦闘は出来ない。戦闘をしない自衛隊がいる所は非戦闘地域である」との珍妙な議論に、現地の実情と自衛隊のそれへの対応には十分に議論を尽した様子はありませんでした。三つ目は集団的自衛権の問題です。オランダ軍、ついで英豪軍の治安維持の中での任務遂行ですが、彼らと危害排除のための共同行動は、集団的自衛権の行使を禁じた政府見解によって出来ません。誰かに守られながらの行動を余儀なくされ、肩身の狭い思いを味わったことでしょう。この件を安倍総理が懇談会を開いて検討を進めましたが、現在は何らの動きもありません。
憲法ゆえに自衛隊の手足を縛りながら、その任務はどんどん広がり難しくなって行きます。隊員の智慧と苦労で凌ぐのはもはや限界ではないでしょうか。

三、 何故この「ちぐはぐ」が?
    マッカーサーの占領政策こそ元凶

 占領とは本来敗者に対する追撃であり、戦果の拡張であり、戦争目的の徹底した追求であり、軍事力の破壊と精神の変革を強いるもので表面はどうあれ過酷なものです。ミラン・クンデラの言葉ですが「一国の国民を抹殺するには現在に続く歴史、文化、伝統を断ち切り、消し去り、新しい価値観のもとに文化と歴史を刷り込む。間もなく国民は過去を忘れ、否定し、本来の国民ではなくなる」(笑いと忘却の書)初期の対日方針と言い、ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラムと言い、クンデラの言葉どうりの占領政策が約一万に及ぶ占領軍の指令指示として発せられ日本と日本人の過去は否定され、彼らの言う新しい価値の受容を強いられました。それが今に及んでいることは村山談話や河野談話などの贖罪意識に見ることが出来ます。

別紙一
「終戦から二年、マッカーサーは何をしたか」をご覧下さい。戦慄すべき日本骨抜き改造の跡が見えます。


四、防衛力を必要とする情勢があり、
    予備隊、保安隊、自衛隊と変遷
 昭和二十五年六月二十五日、朝鮮戦争が始まりますと日本駐留の米軍は朝鮮半島に転用され、日本の治安維持が懸念されるところなり、マッカーサーは書簡をもって「公共の秩序と福祉を守るため、警察予備隊」の創設を求めます。七万五千人で発足し、昭和二十七年には保安隊となります。いずれも治安の維持が主任務です。終戦直後からその兆しがあった東西の冷戦は朝鮮戦争の熱戦を経て益々激化し、ソ連、中共中国の脅威はわが国に及びます。アジアでは地政的にその焦点が日本であり、国家防衛の力なくしては国家の存立も危ういとの認識の下、昭和二十九年、国の防衛を主たる任務とする陸・海・空自衛隊が編成されました。日本は日米安全保障条約信頼性を高めると共に自らの防衛力を強化・整備して参りました。

 平成三年(1991)、ソ連邦の崩壊により冷戦は終結しましたが、日本の周辺では冷戦時代の構図はなんら変ることなく、中国の軍事力の深海から宇宙に至る広範な質量両面の拡充強化はわが国をはじめ周辺諸国の大きい脅威となり、加えて北朝鮮の核兵器の保有、ミサイルの開発など、日増しに増大する危機に如何に対応するかが問われています。加えて新しい脅威としてのテロが広がりと激しさを増し、また国際的な行動も日常化しました。今までにも増して自衛隊の増強が望まれます。

別紙二 「わが国周辺の軍事情勢、自衛隊の規模と予算、各国の国防費の推移」によって、情勢の緊迫に対しわが国の防衛努力の乏しきをご理解いただきたく思います。わが国の周辺には世界の四十%の厖大な兵力が展開する軍事密度の最も高い地域であり、日本は世界の軍事大国ベストテン上位の国々に取り囲まれています。それらの国は核・ミサイルを保有し、中には反日感情が非常に強い国や、現に我が国固有の領土を不法占拠し、更には日本の領土を自分のものと主張する国もあります。軍事大国の一位は中国、二位アメリカ、三位インド、四位ロシア、五位北朝鮮、六位韓国。我が国は二十五位。日米同盟で何とかバランスを保っている状態です。しかもわが国は平成七年の村山軍縮以来人員、武器装備、予算の削減が続き、主要国で防衛費が一〇年前に比し減少している唯一の国です。防衛費のGDP比ではなんと世界で百五十番目の低い国です。中国・北朝鮮の動向には細やかな且つ長期的な視点に立って注視しなければなりません。更に我が国益を損ずる懼れがあるときは断固たる対応の意志を示しそのための能力と体制を確立して置くことが肝要です。

五、 憲法の改正を急げ 日本解体が進む

 明治憲法は五十八年で日本国憲法にとって変りました。現憲法は六十三年間、一度も一語も変ることなく、基本法として国家運営と国民生活の準縄として今日に至ります。この憲法の下、現政権によって戦後の占領政策に次ぐ第二の日本解体計画が着々と、しかも広範に亘って進みます。民主党のインデックス2009、マニフェストなどに示された、外国人参政権、夫婦別姓、恒久平和調査局、国立追悼施設、国籍選択、人権擁護は日本と日本人のアイデンティティーを否定し、歴史と伝統・文化を歪め、国柄や人々の魂への挑戦です。

(一) 前文と第九条の改正を第一に。
     現実との「ちぐはぐ」、亡国の道標

 日本国憲法の最大の欠陥はここにあります。国家は勿論、個人でも虫けらでも、命を持つものはすべて、己の智慧と力の限りを尽くし、自らの生命を守ります。そこに自己存立の基盤があり誰しも犯し難い生命の尊厳があります。ところが憲法はこの点を欠きます。解釈によって自衛機能を持つとしていますが、冒頭に述べた、福島大臣のような自衛の権利、機能の保持まで否定する向きが根強く、その勢いは衰えるところがありません。原因は憲法に「国を守る」当然のことが、否定的、あるいは極めて曖昧であることにあります。憲法に「日本の国は日本人が守る」ことを闡明することで、日本人の自主自立自尊の精神が蘇り、政治、外交、経済、教育の分野に横行する国籍不明の議論は影を潜めましょう。

 それでこそ世界と対等に伍して行けるのです。吉田茂首相は政界から退いて十年後の昭和三十九年、旧知の辰巳栄一中将に「君とは以前、再軍備や憲法改正についていろいろと議論したが、今となっては国防問題について深く反省している。日本が今日のように国力が充実した独立国家となったからには国際的に見ても国の面目上軍備を持つことは必要であった。」と告白しています。この問題はもっと早く本来あるべき姿に改められるべきでした。

(二)改正への動きは止まる。むしろ後退しつつある
 国民投票法『日本国憲法の改正手続きに関する法律』は今年公布後3年をたて五月十八日施行されますが、そこに示された憲法審査会は衆参両院共に開かれることなく、パソコンの画面に「審査会は開かれておりません。国会で審議等はありません。今後の予定は決まり次第お知らせします。」との言葉が虚しく踊ります。民主党はマニフェストの最後に「国民の自由闊達な憲法論議を」とはあるものの、党の憲法調査会はなくなり、議論する場もありません。

(三)では当面どうする?
    日米同盟の信頼性と、自衛隊の機能と能力の増強

 憲法改正の努力を一層推進すると共に、これが直ぐにならないとすれば、中国からまた朝鮮半島から、表裏硬軟織り交ぜた脅威を眼の前にして、なすべき方策は日米同盟を強固に維持し、同時にわが国の防衛力を拡充強化する他ありません。その際せめて集団的自衛権の行使に道を開き、領域警備の法制を確立することも大事です。何よりも日本の防衛に日本の主体性を高め、自主性を確保することが必要であり、これは日米同盟にもよき感作を齎します。完全な自主防衛の議論もありますが国民に相当な決意と犠牲の覚悟があってのことです。

 現在の日本、戦後が色濃く国の体制にも、日本人の心にも残り、それが将来に対する日本の展望を妨げています。戦後は未だ終わらない、日本の内なる戦いは続きます。賛美歌に「道は険しく、行く手遠し、こころざす彼方に、いつかつくらん」と。「いつかつくらん」と待っていても、何も成りません。今こそ日本の明日を拓く国民の決意と情熱と行動が求められます。           


(平成二十二年五月三日、講演  於みゆき会館)

h22. 6.23