参考)ホンジュラス日記より
(引用編集責任・白石)
 「ホンジュラス人が約束を守らなくても、私は日本人としてしっかり守って生きていこう。」と心の柱にもって、ここで生活してきた。それが私の日本人としての一つの誇りだし、そういった感覚を失わないことが、再び日本で生きていくための切符だと思ってきた。
 また今年の7月頃に出された国際教育協力懇談会・最終報告の中にも言われている「『日本人の心』が見える協力の推進」という言葉の「日本人の心」の意味。いい言葉だなぁ、と思って私の記憶に残っている。この「日本人の心」も、精神的な文化を伝えることの一つではないかと、私なりに解釈していた。
 しかし、これほど約束や時間を守っても裏切られる。言われたことはいい加減。そんなことが当たり前の社会では、その生き方を守ることは相当の覚悟が必要だということ、それがやっと分かってきた。

〈青年海外協力隊とボランティア〉

 協力隊員は、各任国の物価基準に合わせた金額で、実は現地生活費が支給されている。それを最初に知ったとき「え!生活費支給?協力隊はボランティアじゃないの!?」と私は驚いた。JICAによると「ボランティア」とは「無償」ということではなく、「自発的な活動」ということなのだそうで、それから考えるとやはり「協力隊はボランティア」ということらしい。
 しかし協力隊では、その現地生活費を極力抑えることによって、現地の人の生活水準に近づけようとしている。ちなみにホンジュラス隊員の生活費は、1か月$380だ。ここの40代教員の給料が、ひと月約$300なので、ここで現地の人と同じ生活をしようと思えば、それは低い額ではない。

 それなら私も、より現地の人の生活に近づけるために、その支給される生活費を使わなかったらいいのだろうが、情けないことにそれがなかなかできない。郵便物は出したいし、ラセイバにも出かけたいし、写真も現像したい。任地でインターネットができないなら、別のできる場所ではしたい。それらはどれもここの人々が、日常にできないことばかりだ。自分は欲だらけだと思いながらも、これら日本での生活の一部をなかなか断ち切ることができないでいる。それなのに、「欲求を満たそうとしながら、何が『現地の人と同じ目線で』だ。こんなのお遊びだ。偽善だ。」っと自分が嫌になる。

 「経済基盤の違い」は大きな違いだろう。しかも私は仕事に支障がないほどの、堪能な語学力があるわけでもない。しかも二年間という期限付きの任期。新しい土地に住んで、新しい言葉にも慣れて人間関係をつくっていると、もう一年くらい経ってしまう。何もかも中途半端で、本当に自分の活動は「技術援助」になっているのだろうか? それどころか、現地の「人の役」にさえ立っているのだろうか? 算数講習会をしている意味はあるのだろうか? 自己満足じゃないのか? 単なる「国際協力体験隊」で終わらせてはいけないのだ。
 私は日本国民による多額の血税によって、生かせてもらいながら、ここでその価値に相当する存在になっているだろうか。自分のやっていることが、甘っちょろい偽善のように思えて仕方ない。しかも私は、現職派遣法による現職措置で派遣されている。職場にも迷惑をかけながら、帰国後の職まで保証してもらっている。大勢の人々の理解と支えによって、この念願の協力隊をさせてもらっているのだ。本当にそれらの手厚いバックアップに見合ったような、「技術援助・技術協力」ができているのだろうか?

 首相官邸HPによると「ODAは単なる『人助け』ではない。日本にとって安定した国際環境を確保するために取り得る、最も重要な政策手段である。」とある。つまりODA事業の考え方の基礎は「国益」であるから、JICAも協力隊も「国益」のためらしい。しかし純粋に「国益」を求めるなら、先の二大主義は合理的ではないのでは。
 結局この活動は何だろう? 技術援助か、日本の国益にかなっているのか、それとも親切の押し売りか、自己満足か、偽善か、ただの「海外生活体験隊」なのか?

 でも理想や多くを求めないで、現実を受け入れないとこれらの問題からは解放されないだろうな、と最近思う。それは「妥協」なのではないと思いたい。・・・どうなんでしょう?

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H17. 2.23