連載「日本体感温度
〜青年海外協力隊活動を終えて〜」

第5回 祖先から繋がる今の自分
〜唱歌「ふるさと」の詩に込められた想い〜
松山市公立小学校教諭 藤井田 美代

 今年、日本の正月を2年ぶりに堪能した。家族がそろって平和に新年を 迎えられることの幸せ、しかも電気や水道設備が整った環境下、戸外の銃 声を聞くこともなく命の危険を感じることもない。この幸福と恵まれた環 境を思うとき、支える人々、機関、しいては国の果たしている役割と、そ こから受けている恩恵の大きさをしみじみ感じる。
 日本とは、本当に快適な人工空間である。その見えない快適さ故に、こ の幸せがあたかも無尽蔵で普遍的なものかのように錯覚してしまう。豊か な社会に生まれた私は、漠然としたありがたさしか感じていなかった。こ の施設やシステムを構築した国や社会と先人方々の存在、その広範囲への 感謝を忘れていた。途上国の町に住み、日本の豊かさを失って生活し、や っと私は高い恩恵を受けていたことを実感することができた。

 そして国や社会を感じることができはじめたとき、時代を超えた縦のつ ながりの中に存在する自分を意識した。今まで自立すること個を確立する ことが、自分の大きな目標かのように思っていた自分のもろさと危うさを 感じた。任期中に任地で書いた日記に以下のような文がある。「考えてみ ると、私の大学以降の日常生活における人との関わりは家族をきれいに忘 れて、友達・仲間・先輩方の外ばかりに目が向いていたような気がする。 友人など彼らとの付き合いは実際、充足感があったし、彼らを大切にした いという気持ちも強かった。またそれを『自我の確立に従って、血のつな がりに頼らない人間関係を創り上げることができるのは、ひとつの発達課 題の達成の形だ』などと、自分なりに殊勝そうな理屈をつけて納得してい た。『家族へ、内へ』戻そうとする両親に対して『子離れができていない 』などと、横着なことを言ったこともある。今考えると、とんでもない親 不孝者だった。」

 何のつながりもない個が存在しないのは当然だが、横の絡みだけの個も ありえない。人々の歴史につながる自分の祖先や、家族の長い営みを負っ て今の自分がある。国やその歴史を意識し、社会を意識した上で、私は身 近なふるさとを意識した。そしてやっと、祖先と家族の意味を感じること ができた。・・・考えてみれば、古今東西語られ続けた当然のこと。途上 国で生活するまで気づかないとは、全くお恥ずかしい話である。

 任期中、隊員達と任国の各地で日本文化紹介を行ったが、その最後に必 ず歌ったのが文部省唱歌の「ふるさと」だった。私はこの歌だけはどうし ても、涙なしでは歌いきることができなかった。その詩に込められた情景 と作詞者の想いが、痛いほど伝わってくる。学校で習ったときには気づか なかったこの詩のよさを、任国で歌うことによって初めて感じた。当時の 日記によると「『ふるさと』の歌には『しっかりと志を果たしてから、故 郷に帰るんだ。』というくだりがある。あの歌は望郷の気弱な想いばかり を綴ったものではなく、強い意志のあることを感じさせる。私もしっかり と意志を果たし終えてから日本の地を踏みたい。」さて、それが実現でき たか、今の私はどうか。
 今は平成17年の1月。新しい年の「睦月」である。「家 中の人が仲良く睦み合う月」という睦月。任国で教わった人間の基本的事 柄を実践できているか、自分に問いたい。
(責任編集・白石哲朗)
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参考ホンジュラス日記

H17. 1.18