連載「日本体感温度
〜青年海外協力隊活動を終えて〜」
松山市公立小学校教諭 藤井田 美代

第4回 国際的基本動作
〜ホンジュラス人から学んだ国旗・国歌に対する想い〜

 ・・・神聖なる国章を守るべく 我らいざ死に賜う。嗚呼 祖国よ 我らが運命は寛大なり。・・・これはホンジュラス国歌の一節である。 協力隊の任期中これを度々聞き、厳粛な面もちで、この歌詞を斉唱す るホンジュラス人の姿は、私にとってとても新鮮に感じられた。  隊員としての活動の一環で市内の小学校をまわり、授業観察や模範 授業を行った。そんな交流の後、教室を去る私に子供たちがよく歌っ てくれたのがホンジュラス国歌である。起立をし、みんな右手を胸に 当てて、教室に掛けられている国旗を見つめながら歌ってくれる。 1年生の小さな子どもでもそういう態度をとる。また訪問をした学校 の多くは、毎朝始業前に国歌斉唱をしていた。私が「お礼に、日本の 国歌を歌いますね。」という。すると、なんと子供たちは条件反射的 に起立する。そして私が歌い終わるまで、直立不動に近い姿勢でじっ と聞いてくれるのだ。最初は恐縮したが、この反応はどこの学校へ行 っても同じだった。

 隊員活動を通じて、ホンジュラスは多くの問題を抱えていると感じ た。学校教育においても、同じである。しかしこの国旗国歌に対する こども達の反応から、大切なことを学んだような気がする。そしてこ れと同じ状況が日本だったら、日本の子供たちはどんな態度を取るだ ろうか。

 国際社会の中では政治信条にかかわらず、自国の国歌、国旗に対し て敬意を表するのは国民として最低限の常識だと考えられていると思 う。少なくともここホンジュラスの人々は、そう思っている。国旗掲 揚と国歌斉唱が思想信条の自由への侵害であり、公教育でのそれらの 義務化は憲法違反だといった非難や、児童の権利条約に抵触するから 納得できないという考え方は、国際社会の中では的を外れているよう な気がしてならない。

 私が「日本の国歌を歌う」といったとき、一斉に立ち上がった子供 たちはその国際的常識を体得し、その常識に従って反応した。それは 思想の強制をされているのではなく、国民としての最低限のマナーを 示してくれた。日本ではまだ、国旗国歌へのアレルギー状態がなくは ない。この日本の環境で育った子供たちが、つまり自国の国旗国歌に 対して敬意を払わない教育で育った人たちが、果たして他国の国旗国 歌に対して敬意を払えるだろうか。しかしそれができない場合、国際 社会では本人にその意思がなくても、それは間違いなく相手の国と国 民に対する一種の侮辱だと受け止められる。つまり国民としての最低 限の常識を欠くことは、当人も望まない国際的トラブルの原因ともな るのだ。

 「国旗国歌へ敬意を表すこと」これは「思想の強制」では なく、「国際的常識」であり「国際的基本動作」である。日本では、 もっとしっかりとした意識とともにその教育を行わなければ、国際社 会の中であらぬ誤解を招く日本の子供たちが増えるのではないかと心 配になった。

(責任編集・白石哲朗)
*感想やご意見など、お気軽に愛媛県本部までお寄せ下さい。
参考ホンジュラス日記

H16.12.18