打越和子氏 三机を訪問

     打越 和子氏『靖国のこえに耳を澄ませて』著者
     特殊潜航艇の訓練基地、
         瀬戸町三机を訪問


   ―27日の講演会には70名が参加―

3年ぶりに松山で講演する打越氏  10月27日、打越和子氏が講演のため3年振りに来県、70名が参加しました。 以前から慰霊の有り方や皇室問題など,夫々のテーマを常に物事の本質から 捉えた話は、高い評価を得ていましたが、今回の講演でもその姿勢は貫か れていました。

 冒頭、北朝鮮による拉致事件に触れ、この事件についての皇后陛下のお言 葉を紹介。この事件を単なる状況問題や一事件として捉えるのではなく、 日本人の生命の流れとして歴史や伝統を有する日本という国の在り方を見 つめるなかで、皇后陛下のお言葉を自らに問い、国家的視点から噛み砕く ように話をする。思わず心の中で手を叩き、頷く人も多かったのではない かと思います。

講演会場内  戦没者の慰霊という国家が成すべきことをこれまで放置し続けてきた今ま での政府の対応、拉致事件が発生してから国家として対処して来なかった 政府、これらの問題の根底は国家―『国民同胞』という意識が完全に欠如 していたという意味で、その根は全く同根なのです。現在のこの事件に対 する報道を見ていると、国家と切り離された、単なる人権・ヒューマニズ ム的なものが余りにも多く目につきます。(それも数ヶ月前までには見て 見ぬふりをしていた報道機関までが)単なる状況的で大衆受けする表層の みの拉致報道とは、全く質を異にした本質的な話でした。国家を無視して 国家的犯罪を平気で行う国に、国家と切り離された人権などで対応できる わけがありません。

講演する打越氏  国のために戦い散って逝った人をお祀りし顕彰することは、国民としての 生きる者の努めです。それを自覚するには、歴史を自らの内に蘇らせるこ とが大切です。講演の後半では、今年8月のハワイで特殊潜航艇が発見さ れたことに触れ、その訓練基地であった瀬戸町の三机には慰霊碑が建立さ れ、また隊員の宿舎だった『岩宮旅館』には今も往時を偲ぶ資料が展示さ れ、地元の人が御霊を慰めていることを紹介しながら、身近な地域縁の英 霊一人一人の具体的な姿を心の中に蘇らせ、大東亜戦争はどういう戦いだ ったのかを学び、祖国に対する信を培って行くことが大切と強調しました。

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 * 講演後から講演テープを希望される方が相次ぎました。
     ・講演カセットテープを1本・1,000円
     ・講演ビデオテープを1本・2,000円でお分けします
           (いずれも送料込み)

 ★ 併せて著書『靖国のこえに耳を澄ませて』(明成社刊・1575円)も
      好評頒布中です。お求め普及にご協力下さい。
         お申し込みは愛媛県本部まで
              рO89−934−5422

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 翌28日は、打越氏と三机を訪れました。帰京の航空便の関係で朝7時前に 松山を出発し、昼過ぎに松山空港という強行スケジュールでしたが、短い 時間でも折角の機会でしたので、案内を致しました。

小雨降るなか慰霊碑に参拝する打越氏  三机では、須賀公園に昭和41年に建立された慰霊碑を訪れ、時折冷たい 雨が降るなかを参拝しました。11月から冬にかけては季節風が関門海峡を 通って佐田岬半島から豊後水道を吹き抜けるため、普段は穏かな瀬戸内の 海も白い波しぶきをあげるそうです。訪れた日は、その兆しを肌で感じま したが、特殊潜航艇の隊員は皆、冬の荒れた海で僅か50トン足らずの小さ な艇で休むことなく厳しい訓練を続け、真珠湾をはじめ戦いでは従容とし て出撃していったことに想いを致すと、冷たい雨に濡れながらも心は熱く なって来るのを覚えました。慰霊碑はその湾を望むように建てられていま す。

岩宮旅館の山本恵子さんと  次に『岩宮旅館』で展示してある資料や写真を拝見しました。旅館の山 本恵子さんは、大変忙しいところを「寒いなか東京からわざわざお越し頂 いて…何もできませんが」と仰りながら、温かく迎えてくれました。資料 のなかには今では手に入らない戦前に刊行された文献、また真珠湾での攻 撃でただ一人生き残った酒巻和男さんの手紙などを拝見しました。特に旅 館で過ごす隊員たちの写真―大漁を喜び、笑顔で歓談する厳しい訓練の合 間に見せる素顔、それはお世話をする三机の人々への気遣いや感謝を現し た姿のように思えます。そうした青年たちの姿が、三机の人々には心の中 に深く青年たちの姿が刻まれているのだと感じます。

岩宮千代さんが日参したお地蔵さん  旅館の近くに、当時旅館で隊員のお世話をしていた岩宮千代さんが「九 軍神」の冥福を祈るため日参したお地蔵さんが今も残っています。現在で も山本さんはじめ地元の人が、毎日お参りされています。訪れた日も、新 しいしきびが立てられ、水がいっぱいの小さな茶碗が捧げられていました。

 今年も12月8日に「九軍神」の慰霊祭が慰霊碑前で営まれます。皆様もぜ ひ参列してみて下さい。(詳細は連絡あり次第お知らせします) ここ数年、地域の小さな慰霊祭に参列し、郷土ゆかりの英霊を偲ぶ資料を 拝見するため県下を廻ってみて、その地域には独特の言葉にし難い雰囲気 を感じます。「九軍神」という言葉は、最近で知る人は殆どいません。死 語に近い言葉です。戦争を体験していない人に戦歿者を敬う心を伝え育ん でゆくためには、単なる知識としてでなく、現地に赴き慰霊碑に参拝し、 今も御霊を守り続けてきた人の話を聞くという体験的に肌で伝えて行くこ とが大切だろうと思います。

 帰路、打越氏とも話をしましたが、地域の慰霊祭を継承し、地域の英霊 を偲び顕彰することは、靖国神社を守る活動の原点ではないかということ でした。

 最後に「九軍神」について現在刊行されている唯一の文献を紹介します。

   『海 軍』   獅子文六著(中公文庫) 760円(税込み)

これは昭和17年に獅子文六氏が本名の「岩田豊雄」の本名で執筆した小説 で当時の朝日新聞に連載、本として刊行されたものを、昨年(平成13年) 中公文庫より復刊されました。主人公は「九軍神」の一人、横山正治さん です。
一般書店でお求めになれます。ぜひお読み下さい。

(平成14年11月 2日   白石記)


H14.11. 8