今月の主張
 中山会長の巻頭言
「戦後七十年談話に期待する」 
日本会議愛媛県本部会長
 中 山 紘 治 郎
 「ハイドパーク覚書おぼえがき」を御存知だろうか。日本はニ度も原爆を落とされたが、戦争の早期終結と日本上陸で予想された米軍犠牲者五十万人を出さないため使用した、というのがアメリカの公式見解である。本当にそうか。昭和十九年九月、ルーズベルト大統領とチャーチル首相がハイドパークで会談し、原爆が使用可能になった時には、「日本人」に対して使用(used against the japanese)することで合意したのがこの覚書である。すでに戦況は圧倒的にアメリカに優位であったから、使う必要のない兵器であった。覚書によると、日本ではなく、「日本人」に対して、と明記されており、戦略かつ実験的に投下された原爆は、人種差別による日本人大量殺戮さつりくだった。

 空襲として人類史上最大規模の大量虐殺である東京大空襲はもとより、アメリカは空襲で二百以上の日本の都市を焼き尽くし、一説に百万人以上の民間人を殺害した。戦後七十年、アメリカは戦争責任を認めていない。さらに、あにはからんや近現代史を学んだ学生たちにくと、日本は悪い国、侵略国家、恥ずかしい国といった反応が数多くかえってくる。これは一体どういうことか。「春秋しゅんじゅう義戦ぎせんなし」(孟子)という。まさに勝った方が正義で、敗者は勝者に裁かれる。日本の場合、占領統治下で民主化を錦の御旗みはたにアメリカにすり寄る戦後利得者が跋扈ばっこし、憲法を押し付けられ東京裁判を受け入れた。戦後五十年の節目の村山談話で、日本は過去を断罪し植民地支配と侵略への痛切な反省と、心からのお詫びの気持ちを表明した。しかしここ十年、中韓は執拗に反日姿勢を強めており、談話は日本批判への言質げんちとなった。誠実さは通用せず、お人好しの国家として甘くみられただけである。

 いわゆる戦後レジームからの脱却の根幹をなすのは、憲法改正であることは論を待たない。戦後七十年、美しい日本の国柄を取り戻すため、占領統治下の残滓ざんし払拭ふっしょくし、教育を正し、占領支配時代からなお引きずっている隷属れいぞく意識から、日本と日本人が完璧に開放されることに主題においた安倍談話に期待する。



『日本の息吹』平成27年5月1日号「愛媛版」より転載

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