今月の主張
 中山会長の巻頭言
「無責任なメディア報道への注視と警戒を」 
日本会議愛媛県本部会長
 中 山 紘 治 郎
 今年、郷里の大先輩からの年賀状に、某新聞の変節(へんせつ)を激しく叱責(しっせき)する文章があった。卒(そつ)寿(じゅ)をとっくに過ぎた大先輩は、兵役で中支(ちゅうし)を歴戦した経験がある。戦後七十年の節目に、終戦の日と、戦艦ミズーリ号甲板で日本が降伏文書に調印したあとのこの全国紙の社説を読み返し、それらの論調がまったく無責任なことに愕然(がくぜん)とし、強い腹立ちを覚えた、と記(しる)されていた。たしかに、この新聞の誤報やねつ造、さらに偏向した記事や報道は、同社が創立されたときからつづく病的な体質なのだろうか。今日にいたっても社会の木鐸(ぼくたく)どころか、国民を惑(まど)わせ不安をあおる紙面が際(きわ)立つ。

 私はさっそく縮刷版で、指摘のあった社説を読んでみた。終戦の日の見出しは、「一億相哭(そうこく)の秋(とき)、再生の道は苛烈(かれつ)、決死・大試練に打(うち)克(か)たん」とあり、戦争中と同様に、「一億うちてしやまん」と高見(たかみ)から鼓舞(こぶ)するばかりである。降伏文書調印のあとは、「われわれは軍、官、財界の三者に敗戦の大きな責任のあることを指摘した。しかし深く考えるとき、この責任は一億国民が背負うべきものであることを知るのである。」と書かれている。この見出しは、「総合国力発揮拒(こば)む封建制度の残滓(ざんし)」となっており、戦争に負けた原因を戦前の封建制度に押し付けているのである。かつて戦争を賛美し、国民を戦場へかりたてたマスメディアとしての反省の言葉は一切なく、平和・民主主義・自由・人権を標ぼうする社説へと豹変(ひょうへん)している。

 さらに一年後の二十一年八月十五日の社説は、「ポツダム宣言一周年」のタイトルで、アメリカの占領政策を一方的に賛辞している。同紙がリベラルを装(よそお)いながらも占領軍のプロパガンダの一翼(いちよく)を担っていたことは明白で、社説は次のように書く。「われわれは心から元帥(げんすい)に対して深厚(しんこう)なる感謝の意を表明するものである。(中略)かくして日本の民主主義革命はポツダム宣言受託(じゅたく)の必然の帰結である。」

 一年の間に、よくぞここまで変われるものぞ、と無責任極まりない言論にあきれるばかりである。戦後七十年、同紙はこのほど体制を改めたが油断はならない。
 社会の公器(こうき)としての責任と使命が果たせるよう、私たちはこれからも注視と警戒を怠らないようにしたい。

『日本の息吹』平成27年3月1日号「愛媛版」より転載

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