今月の主張
 中山会長の巻頭言(年末の言葉)
「本質を見きわめた議論を」 
日本会議愛媛県本部会長
 中 山 紘 治 郎
 安倍政権が誕生して二年、日本は長いデフレ不況と民主党政権下の混乱と不安の時代からぬけ出し、日本の国柄にふさわしい国づくりが始まっている。誠に喜ばしいことだ。先々の目標は憲法改正であるが、いわゆる戦後レジームの殻を破り、私たちが本来あるべき日本の国のすがたを徐々にとり戻しつつあることに、私は未来に明るい希望を抱いている。

 とはいえ、ここ一年の世相をふりかえると心配の種もある。ネット社会が浸透するにつれ、社会の風潮は興味本位に表面的な事象だけをおいかけ、物事の本質にまでふれようとしなくなった。卑近(ひきん)な例をあげると、私は昔から大相撲を愛し、テレビ桟敷(さじき)だが大相撲観戦を楽しんでいる。大横綱になった白鵬には、今の日本人が失いつつある日本人の本質を感じる。しかし、改めて番付表をながめ、上から下まで外国人力士がずらりと並んでいることに鼻白(はなしら)むこともある。そもそも国技の大相撲とは何だったのか。その本質をそっちのけにして、取組みだけを楽しむのであれば、プロレスなど他の格闘技と変わるところはない、と私自身反省することしきりである。日本の国柄を思うと、効率、便益、経済性、あるいは国際化といったことだけで片付けてはならいことが、たくさんあるのである。

 ふりかえれば今年もさまざまな問題が生起した。領土、集団安全保障、日中韓外交、歴史認識、消費増税、社会保障、深刻化する地方の衰退、急務の教育改革等々。これらの諸問題について、本質にまで掘り下げ議論をしない傾向が年々強くなっている。とくに野党は、批判のための批判ばかりで、なぜ本質に立ち返った議論をしないのか。私の周辺でも、発言すべき各界の人士(じんし)は黙して語らずの方が多い。「見ざる聞かざる言わざる」を美風と心得ているのか。誠に情けない限りである。

 日本の国柄という、日本国家の本質に立ち返って内外の諸問題と真(しん)しに向きあっている救国の天才政治家安倍晋三総理の、これからの四年間を私たちは全力で応援したい。

 最後になりましたが、皆様におかれましては、来る平成二十七年(皇紀二千六百七十五年)が、よいお年になりますよう心から祈念申し上げます。



『日本の息吹』平成27年1月1日号「愛媛版」より転載

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h26.12.27