[日本の息吹 11月号巻頭言」
「誇りある日本の国づくりへ」 
日本会議愛媛県本部会長
 中 山 紘 治 郎
 九月八日の早朝、東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まった。ジャック・ロゲ会長の一声「トォーキョ」は、日本の一致結束したプレゼンテーションの場面や言葉とともに、いまも私のなかに鮮明に焼き付いている。招致委員会の皆さんの感動や喜びの表現も謙虚で、念願かなわなかった国への惻隠(そくいん)の情を示し、誠にすがすがしいものであった。二○二○年へむけて、国づくりの大きな目標ができたことを心から喜びたい。世界中が日本に注目し、外国からの観光客もどっと増えるだろう。日本の素晴らしい国柄を知ってもらう絶好の機会でもある。わが国の行く先にはエネルギー政策、財政、外交、教育等にくわえて、憲法改正という歴代自民党内閣が果たせなかった大きな仕事がある。私たちは一部メディアの不埒(ふらち)な報道や言説(げんせつ)を厳しく正し、安倍総理を支え、誇りある日本の国づくりにみんなの力を結集していかなければならない。

 ふりかえると、初めての東京オリンピック開催が決ったのは昭和三十四年五月、私が高校一年生のときである。復興から高度成長へと自信を取り戻しつつあった日本は喜びに沸いた。皇太子明仁親王殿下(現在の天皇陛下)のご成婚もあった。白黒の小さなテレビで、皇居の二重橋前を進む儀装馬車と、打ち振られる国旗を目にし、私は表現しがたい感動を味わった。皇室は世界でも最古の王朝である。皇太子殿下ご成婚の祝賀は私にとって、日本の誇らしい国柄(くにがら)を自覚するようになった慶事であった。

 いっぽうこのころから、日本は日米安全保障条約の改定をめぐる政治の混乱がはじまる。過去にも大衆迎合(げいごう)の誤った新聞報道が熱しやすい大衆を煽(あお)り、日露戦争直後の日比谷焼打ち事件や米騒動の際の鈴木商店焼き討ちを引き起こしたことがあった。戦後のこのときも、およそ常軌を逸した烈(はげ)しい安保反対運動がつづき、翌三十五年六月に混乱は頂点に達した。国会議事堂はデモ隊に包囲され、首相官邸にいた岸信介(しんすけ)総理は死をも覚悟しながら、条約の改定をやりとげている。偏向したメディアは、東京中が大混乱に陥っているかのように報道したが、神宮球場は満席で、銀座も銀ブラを楽しむ人でにぎわっていた。

 岸総理は「安保改定がきちんと評価されるには五十年かかる」といったが、もし安保条約が破棄されていたら、日本はどうなっていただろうか。いうまでもなく、戦後の日本の繁栄と平和は安保改定なくして語ることはできない。権威ある評論家が「本物の責任感と国家戦略をもった戦後唯一の総理」と政治家・岸を評しているが、岸の評価は歴史を経(へ)るにつれいっそう高まっている。

 安倍総理にも、国民大衆よりも二歩も三歩も前にたち、自立した誇りある国づくりに取り組んでもらいたい。




『日本の息吹』平成25年11月1日号「愛媛版」より転載

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