[日本の息吹 8月号巻頭言」
「若い世代のみなさんと共に」 
日本会議愛媛県本部会長
 中 山 紘 治 郎
 今年も暑い夏がやってきた。
 皆さんは水平線のかなたに、あるいは山の稜線(りょうせん)から青い空へむくむく立ち上がる白雲を目にするとき、どのような想いにかられるのだろうか。郷里の宇和島で空襲を体験した私は、齢(よわい)を重ねるにつれ先の大戦(大東亜戦争)のことが脳裏をよぎるようになった。中国や東南アジアの戦場で、また太平洋の島々で、家族や同胞の幸せを祈り、日本の繁栄と平和を願いながら、飢えや銃弾に倒れた将兵や軍属の無念を思うと、飽食と平和ボケした日本人の一人として、慙愧(ざんき)に堪(た)えないのである。

 沖縄戦、本土空襲、原爆投下、シベリア抑留等々、銃後の国民も数多く犠牲になった。先の大戦での日本人の死者は三百万人をこえている。もちろん日本だけではない。中国はもとよりアジア諸国でも、植民地支配からの解放の戦いであったとはいえ、数多くの人々が何の罪もなく命を奪われてしまったことは誠に悲しむべきことである。戦争は二度とあってはならない。来る「終戦の日」には気持ちを新たにし、戦没者に哀悼の誠を捧げるとともに平和を祈念したい。

 しかしいっぽう、今日の日本の国情と国際社会の情勢を見つめていると、日本はこれでよいのか、平和の礎(いしずえ)となった同胞の祈りの誠に応えているのだろうか、という思いにかられるのは決して私だけではないであろう。ふりかえれば先の大戦では、戦争の勝者だけが正義である、という論理と現実が、連合国による戦争裁判をとおして敗戦国日本を支配した。民主化という名の下に、GHQによって押し付けられた憲法が、日本の伝統的な国柄をないがしろにしてしまったことはここに論を待たない。

 浅学菲才ではあるが、私はこの紙面をお借りして、私たち日本人が「美しい日本」をとりもどすために、検証しなければならない事柄を提示し、次代を担う若い人たちと共に考えてゆきたいと思う。




『日本の息吹』平成25年8月1日号「愛媛版」より転載

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