「日本人はものが言えない書けない時代があった |
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占領軍が強いた「閉ざされた言語空間」の戦後」 | |
日本会議愛媛県本部会長 | |
重 松 惠 三 |
安倍総理の返り咲き以来、閉塞感に支配されたに我が国に明るい爽やかな空気が感じられるのはなぜでしょうか。単に経済的なものばかりではありますまい。もっと大きい根本的な問題として、連合軍の占領下に失い歪められた日本と日本人が本然の姿を取り戻す兆しを感じ、動きが見えるからでしょう。言論統制と教育によって歪曲否定した国柄と史実は、六十八年経た今も、その束縛が自己規制として続いています。検閲、報道規制、焚書。日本人がものを言えない書けない時、占領軍と諸国には宣伝謀略、干渉の絶好機でした。
一. どんなことが検閲の対象とされたか。 検閲項目は三十。言ってはならぬ、書いてはいけないことです。 整理して次に示します。 (一)検閲制度があることを言及してはならない (二)日本人が批判してはならないこと 連合国最高司令官・司令部。東京裁判。 日本国憲法を連合国司令部が起草。 米合衆国。ソ連邦。英国。中華民国。 その他の連合国。連合国一般。朝鮮人。 満州での日本人の扱い。連合国の戦前の政策。 ソ連邦対西側の冷戦。占領軍の部隊・兵士。
(三)日本人が国民に告げ、宣伝してはならないこと
(四)更に日本人は次のことの発表・報道が禁ぜられます |
『日本の息吹』平成25年6月1日号「愛媛版」より転載 |
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h25.9.3