最近の教育論議を思う
   部活動、叱責、体罰、暴力。
   批判誹謗だけで教育の活性はどうなる
日本会議愛媛県本部会長
 重 松 惠 三
一、一人の命が失われたことは痛ましいことです。

 桜宮高校のことは私には何ら論ずる立場にありません。ただ体罰、暴力は如何なるものでも理由は問わず「悪」と言う一点集中の論議、顧問だけに非があるとする特定一方向の報道に何か釈然としないもの感じるのは私だけでしょうか。

 教育の場で暴力を振るうことは許されないことは当然です。触ると暴力、撫でると暴力、言うても、叱ってもいけないとする。教育者と学ぶ側の感情によって、体に触れることを体罰と受け、或は暴力とみる、状況によっては、逆に励ましと感じることもあろうと思います。

 全身全霊をもって人を教え導くとき、教育に懸ける情熱が厳しさとなり、激しさとなる場合もありましょう。それらを全て無くした教育がありましょうか。教育の名に値しない空虚なものを感じます。

 持てる全てをそこに尽くすならば、体に触れて要領を教え、コツを伝えることもありましょう。この風潮が教育から活性を奪ってしまわないか気懸りです。痛ましいことを強調するあまり教育そのものが本来あるべき姿までも歪めはしないか憂慮します。

 日教組による教育支配が、教育そのものを、又日本人の心性に至るまで異様なものにしてしまいました。教師は聖職者でなく労働者になりました。日教組の異常の中に育った国民が殆どなった今です。戦後六十八年。日本の教育を考える時ではないでしょうか。

 私は一般の学校で教えた経験はありませんが、陸上自衛隊幹部候補生学校で防大、一般大学出身の幹部候補生を教育したことがあります。新任教官の時、上司は「僅か一年の教育だが、教育の責任は教え子の一生にある」と聞き、人を教えることのとてつもない重大な意味が教育する側にも受ける側にもあることを厳粛に噛みしめました

二、宿沢宏朗さんの話  キャプテンのこと

 早稲田のラグビーで名選手。早稲田大学、全日本で名監督とうたわれました。住友銀行では役員として活躍中でしたが、五十五歳の若さで亡くなりました。宿沢さんの話の中でキャプテンのことが印象深く、この度の事件とも関連して思い出されます。本人は希望してキャプテンとなったと聞きます。原因の一つにキャプテンの重さを感じます。

 宿沢さんは「ラグビーの監督がする一番大事な難しい仕事は誰をキャプテンにするか」だと言うのです。確かにキャプテンは現場の指揮官。監督や顧問の指導に従いチームをまとめ、作り上げる。その指導理念を具現する。難しいことです。

 宿沢さんはキャプテンが具備すべき資質を四つ上げます。
  一.ピンチとチャンスに強い
  二.やる気と技術がある
  三.人を動かす能力
  四.いつも強気。
 もう一つある「華がある、一目置かれる」と言います。
でもこんな人は滅多にいない。誰だって部下に欲しい人材です。

 更に言います。「キャプテンの資質を作るのは監督です」と。座右の銘は「努力は運を支配する」「勝つことのみが善」と聞きました。

 若い人たちが明日の日本を創る。 日本の教育、日本人の教育を、考えるときです。



『日本の息吹』平成25年4月1日号「愛媛版」より転載

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