日本人の心性「武士道」、
精神の荒廃を救うもの
日本会議愛媛県本部会長
 重 松 惠 三
*日本の兵士は「侍・武士」

 任官したばかりの頃、ある教官が言いました。「日本の兵士は陸海軍ともに軍服を着た途端に階級、士農工商の別なく、皆侍になった。」日本の軍隊は武士道の倫理観で成り立っていました。戦後その一節を以てすべてを批判される「戦陣訓」も「武士道」そのものです。日本の軍隊は侍集団であり、外国の軍隊とは違うところです。名古屋の河村市長の言うように、「南京大虐殺は本当にあったのか?」祖父や父、叔父等がそのようなことをやるものか。日本軍の兵士を知るものにとって当然の疑問です。それが国民の大きい声にならないことが異常です。南京のことは東京裁判で取り上げられましたが、多くの資料が国民党政府の宣伝、コミンテルンの意向、そしてアメリカの広島・長崎の原爆、都市爆撃で非戦闘員たる一般市民五十万人の大量殺戮、この国際法違反を相殺する意図的なものとします。日本人がものを言えなかった占領期の「閉ざされた言語空間」の中で出来上がった話です。

*そこに「サムライ」を見た

 映画「四四二部隊」に「サムライ」を見ました。第四四二連隊戦闘団は第二次世界大戦で日系人をもって編成され、欧州戦線の極めて困難な戦闘に何度も投入され、米軍の中では稀にみる多くの戦死者を出しながら赫々たる戦果を挙げ、全軍中最も多くの感状、勲章に輝いた部隊です。この部隊の戦いぶりが他の米軍とは違っていました。そこに祖国アメリカと任務に対する忠誠、勇敢、兵士相互の友誼、名誉を重んじる心。そこに明治の日本人が親から子へ 二世三世へと伝わっていく日本人の心性・武士道がありました。東條首相や元外務大臣の松岡洋右が、彼ら日系のアメリカ軍兵士に「諸君の祖国はアメリカだ。祖国に忠誠を尽くせ」と激励したことも紹介されました。これまたルーズベルト大統領の死に、交戦中の日本の鈴木首相から心のこもった弔辞が贈られたこととともに武士道の発露とされています。アメリカの軍学校ではこの部隊のことを教えます。私も聞きました。日系米人から聞いたことですが「日系の誇りは反社会的なことは一切しなかったこと。嘘をつかない。真面目に働くこと」と。日本人が持つ優れた心性を顕すものでありましょう。

*日本精神への回帰は 珠玉の心「武士道」にあり

 新渡戸稲造が「武士道」を世に問うたのは明治三十二年、フィラデルフィアでした。当時の大統領がこれを読んで深い感銘を受け、友人にも配り一読を勧めたと言います。ロンドンでも出版されました。そこに日清戦争での兵士の戦いに臨む心根の気高く任務に対する透徹した意識を「武士道」を以て説きました。次いで起こる日露戦争での日本軍の戦ぶりを想わせるものがありました。十七章に及ぶ構成の中、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」「克己」の徳目はそれぞれ章を立て詳しく述べています。更に武士の教育訓練、自殺及び復仇、刀、婦人の教育及び地位、などに言及します。西洋の騎士道が騎士專有の倫理観に留まったに対し「武士道」は国民精神となり日本人が共有する道徳律になりました。精神の荒廃を憂慮する今、日本人の血に流れる日本精神「武士道」を蘇らせたいものです。


以上


『日本の息吹』平成24年5月1日号「愛媛版」より転載

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