堂々と「日本」の主張を世界へ
日本会議愛媛県本部会長
 重 松 惠 三

重松惠三会長 昨年末は「坂の上の雲」TV放映で、明治の国難、日露の戦を私たちの祖父たちはどのように戦ったのか、旅順、日本海海戦のシーン。手に汗を握る思いで画面を見ておりました。秋山好古、真之兄弟の活躍は愛媛県人として洵に誇らしく思いますが、明治の日本人の多くが好古であり真之でありました。何よりも堪えがたい犠牲の上になった成果を国民がそして世界がどのように評価し、日本はそれによって何を得たか。「日露戦争が変えた世界史」という書物がありますが日本が世界を変えた快挙と世界が認めました。

 昭和の御代に日本が戦った「大東亜戦争」。どの新聞もこの言葉を使いません。昨年は、昭和十六年、大東亜戦争勃発以来七十年の記念すべき年でした。閣議は開戦直後、シナ事変を含め戦争の名称を「大東亜戦争」と決めましたが、戦後占領軍の強制により「太平洋戦争」と呼ぶようになりました。その閣議の決定を廃したり、変更したことはありませんので、今も日本では、先の大戦の名称として「大東亜戦争」が正しいのです。七十年を経た、開戦日の十二月八日前後はいろいろなメデイアで特集が組まれましたが、一つの特徴として、この戦争ついて占領軍が日本に強いた戦後の呪縛を解き去って日本・日本人としてどのように見るかという論議が見られたことでした。時が戦後の偽善と醜悪を洗い流しているのでしょうか。

 勝った国が負けた日本への報復劇とされる東京裁判でのインド人パール判事の判決文が浮かんで参ります。「時が熱狂と偏見を和らげ、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、その時こそ正義の女神は其の秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くにその所を変えることを求めるであろう。」あの戦争の世界史的な意義を日本人として世界に発信する時が来た。やっとそこまできたのです。

 占領軍が日本の占領管理の目的を達成するために日本に課した、憲法をはじめとする諸法制、制度、これらが七十年の長い歳月を経てなお日本と日本人を歪め曲げている現実を日本人としてどうするのかも問われています。三島由紀夫氏が自決して四十一年。檄文に戦後を次のように記します「日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態に落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の体計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただ誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜して行くのを、歯噛みしながら見ていなければならなかった」と。

 今も全く変わらない戦後が続く。日本の政治家はじめ各界のリーダーたちの外国要人との接し方には、とても日本の立ち位置に立って日本の主張を堂々と述べている姿はありません。戦後の呪縛に拘束された卑屈卑下。国民はそれで自信と誇りを失うのです。先の大戦が「大東亜戦争」であり、日本は敗れはしたものの、それによってアジア・アフリカの多くの国が独立を成し遂げ、世界史を変えた有色人種解放戦争であった一面があります。三百五十万人の犠牲はそのために気高く尊いのです。大東亜戦争七十年。日本の過去をそして、現在を正義の秤にかけ、日本の誇りを持って世界に我々の主張を発信しましょう。




『日本の息吹』平成24年2月1日号「愛媛版」より転載

前号



h24. 2. 1