小島の砲台。
明治の緊張を伝える葉書
日本会議愛媛県本部会長
 重 松 惠 三

 今年も今冶の葉書が売り出されました。毎年、瀬戸内の郷土色豊かな添え絵に、興趣尽きないものを感じます。今までに取り上げられたのは、しまなみ海道、藤堂高虎、村上水軍など。今年は小島の砲台。小島。来島海峡の浮かぶ文字どうりの小さい島です。絵は砲台の発電所跡。背景に司令塔から望む来島海峡大橋。傍らにー時は明治。日露戦争の緊張感を今に語る『小島砲台跡』―とあります。できれば絵を砲台跡にして欲しかった。

 東京湾の観音崎、対馬の豆酸の様な要所と同じ砲台がここにありました。何故。古来瀬戸内海は西日本海上交通の要路でした。関門を抜ければ一気に畿内に達するハイウエイです。これを制する処が高縄半島から対岸の竹原・尾道・福山に至る芸予の島々です。桜井に伊予の国府が置かれ、唐新羅に白村江で敗れた後永納山に山城が築かれたのも、純友の朝敵としての成敗も、ここに村上水軍が本拠を置き、家康が殊勲の功臣藤堂高虎を配したのも、この地が有する戦略的重要性を示すものでした。

 明治二十年前後から清は定遠・鎮遠の世界最大の巨艦を擁して長崎事件の暴虐、呉沖での艦砲射撃訓練、横浜来航など我が国に対して執拗な砲艦外交を展開します。そして日清戦争です。露独仏による遼東半島の還付を強いる三国干渉はあまりにも露骨な日本に対する脅迫外交でした。ロシアは幕末に対馬占領事態があったように、東へ南へと領土の拡大を続ける視野に満州・朝鮮ばかりか日本もありました。そのような情勢の中で海岸防備の重要性が国家防衛の焦点として、浮かび上がります。

 その一つが瀬戸内の防衛でした。芸予要塞は小島と忠海の沖、大久野島の砲台です。要塞砲兵大隊が置かれました。しまなみ海道を通るとよく解りますがこの二つの海峡を除いては、船折の瀬戸、鼻栗の瀬戸、宮窪瀬戸など大きい船の航行が難しい、潮の早い狭水道です。この二点で瀬戸内を抑える。今も昔も変わらない地の理です。葉書の添え文にある「明冶の緊張感」は波穏やかな瀬戸内の人々も共有する処でした。

 今、東北に大震災津波に続く原発事故。日本がそれらへの対応に追われている。まさにその隙を窺うように中露韓の三国は、活発な軍事行動を我が国の周辺で推し進めています。まず中国ですが、昨年の漁船事件以降今年になって東シナ海では海軍と海洋局の活動は愈々激しく、海上自衛隊艦艇へのヘリの異常接近威嚇飛行や、情報収集機や哨戒機による領空侵犯すれすれの飛行にスクランブルを発動したこともありました。日米共同の災害対応を横目に南シナ海ではベトナムとの間に緊張事態を造りだし当該海域の領有を軍事行動によって主張します。

 6月には十一隻の艦隊が宮古水道を通り太平洋へ出る。そして中国は言う。「このようなことは常態だと思え。騒ぐことではない」と。東シナ海は中国の支配下と言うことです。今や沖縄までもシナの領土と言って憚りません。ロシアは北方領土への首相はじめ要人の訪問相次ぎ、実効支配の実を世界に示すほか、日米共同災害救助の現場を航空機により偵察、情報収集する。日米の軍事協力についてその実態を探る、卑劣な行動です。

 韓国は竹島に海洋基地を作る。軍隊配備も伝えられ、国会議員が北方領土を視察し露韓相合してわが領土の掠め取りを図る。原発事故の収束のめどは見えない中、周辺諸国から弱みに付け込む動きは続きます。

 「明治の緊張」を今に。肝要なことです。




『日本の息吹』平成23年9月1日号「愛媛版」より転載

前号



h23. 9. 1