政治不信。
国 将に亡びむとす
日本会議愛媛県本部会長
 重 松 惠 三

 国が滅亡する。その主たる理由・原因は一国の政治が政治家の我欲と無能のため政治の体を為さず、民心 為に離反し、国家の防衛また貧にして弱なるときです。「ローマ帝国衰亡史」にギボンは言います「蛮族来たって滅ぼしたるか、非ずローマは自ら滅びたるなり」と。亡国は外国の侵略もさることながら、多くは自らのうちにその因があります。

 我が国の政治家諸氏はよく「信無くば立たず」と言います。三木武雄さんは総理大臣の時、この言葉を座右の銘とし今も沢山の色紙が残っています。然しやったことは国家への信、国民への信にはほど遠いものです。防衛では、防衛費をGDPの一%以内とする枠をはめ、防衛全般の整備を制約し、武器輸出の規制を厳しくして防衛技術の発展と交流を阻害し、今日の防衛の弱体化へと続きます。

 また教育についてもポピュリストとして、ゆとり教育の混乱のもとを作ります。靖国参拝をしたものの「私的参拝」という理屈をつけ、後の天皇陛下の御参拝にまで影響を及ぼしたとされます。夫人は北朝鮮と親交を重ねる進歩的文化人、「朝鮮の子供に卵とバナナを送る会」の会長を務めます。北朝鮮による拉致に国民の関心が高まる其の最中、二〇〇二年には親善勲章をかの国から授与されています。この夫婦、日本国民の信を得ることよりも、どこかの国の信を得ることに努めた、と言えば、酷に過ぎましょうか。

 国民の信よりも他国の歓心を得るに汲々とする例は、六百人の大訪中団にとどまらず枚挙に暇がありません。尖閣の漁船事件対応も、領土のこともそうでした。「信」という言葉、それ自体きわめて重いものがあります。白川静の「字通」によれば、「信」とは「人」と「言」からなるとあります。人の言うことが信そのものです。国民の信無きところに真っ当な政治はありません。

 ところが今ほど国民が政治に信頼をおきたくてもおけない時があったでしょうか。「最少不幸」なる標語を掲げて総理になった菅さんは、同じ民主党の前の総理・鳩山さんから詐欺師・ペテン師と呼ばれます。これが日本のトップリーダーの姿です。「字通」には更に「言にして信ならざれば何を以てか言と為さん」と。国会のやり取りは三百代言がまかりとおり、聞いていて辛くなります。哀れを催すような騙し、はぐらかし、先送り、逸らし、とぼける。繰り返される政府の答弁をお笑い番組と評する向きがあるくらいです。国家と国民にとって最大不幸とはこのような事態を言うのでしょう。

 大震災や原発事故の対応に三か月経っても四か月経っても、はかばかしい進展は見えません。怠慢なのか無能なのか意欲に欠けるのか。「徳」無き所に「信」はありません。「信」無き所に知恵も力も結集することはありません。トップリーダーが為すべきことを為さず、国民の「信」を失い、外の侮りを受け、内乱れる。これが亡国への道です。

 災害救助に献身する自衛隊に「ご苦労さん」「誇りに思う」と総理は言いながら、五月三十一日、衆議院本会議で自衛官の定数削減です。どう理解すればいいのか戸惑います。

 国家観無き政治家の手に委ねられた日本。国家と国民の不幸な事態ではありますが、この亡国の危機を克服するには、国民の見識と纏まりです。我が国が危うい。この危機意識の共有こそ国を救う知恵と力を生み出します。日本には知恵も力もあることを信じます。




『日本の息吹』平成23年8月1日号「愛媛版」より転載

前号



h23. 8. 1