「明治は遠くなりにけり」 | |
興隆の時代と人を今に | |
日本会議愛媛県本部会長 | |
重 松 惠 三 |
東日本大震災の被害者の皆さんが、あの惨状の中で示した自制と忍耐、落ち着いた秩序あるしかもお互いを思いやり労わり助け合う情誼と協同の姿に世界は驚きました。あらためて日本人の類なき美風に賞賛の言葉が寄せられました。この様な事態が起こるとたいていの国では略奪、押し込み,かっさらい、数を頼んだ暴動など、暴力を伴った不法行為が横行するものです。ハイチでも中国でも然り。アメリカでもそうでした。何故日本だけがそうなのか?長きにわたり培ってきた国柄や日本人の道義を重んじる気風・性格が斯くあらしめたものと思います ちょっと前のお話で恐縮ですが、 三月三日、桃の節句に日本女性の会愛媛の主催する講演会がありました。子規記念博物館の竹田美喜館長の「真之と子規の青春時代 エルトゥ―ルル号遭難始末」と題したお話でした。その開会の御挨拶で近藤美佐子会長が「明治は遠くなりにけり」と言う言葉を聞かなくなって久しいと、国民が眦(まなじり)を上げて「坂の上の雲」を見つめ、国を興したこの時代への想いを述べられました。武田館長のお話は、トルコの軍艦エルトゥールル号が明治二三年、オスマン帝国の皇帝の親書を明治天皇に届けた帰途、九月一六日串本の沖で座礁、艦長以下五八七名が亡くなり、救助された六八名をインスタンブールに送ったのが練習艦隊「比叡」「金剛」。秋山真之少尉候補生ら海兵一七期が乗り組んでいた、と言う話を軸に、真之のこと、その時代のことを教えて頂きました。 私はつい先だって、今治史談会で「偉大なるかな明治」と題して話しました。前半は回天の大業を担った維新の志士の想い、情熱が明治の人たちのどのように受け継がれ、「坂の上の雲」に何を見たか。後半はその成果・結論としての「日露戦争」を採りあげました。明治の人が「坂の上の雲」に、先ず、不平等条約を解消して日本を「コンサート オブ ヨーロッパ」を構成する英・仏・独・墺・露の様な「当たり前の国」を描きました。そのためには「国民国家」です。国民の国家への帰属意識、即ち天皇を中心とした君民一体の国柄をもとに、憲法・議会など近代国家の制度体制の確立を急がねばなりません。更に「富国強兵・殖産興業」もまた一九世紀半ばから大きく揺れ動く世界。特にアジアは列強が侵略を欲しいままに。我が国が自存・自衛・自栄を図る為に喫緊の大事でした。また「文明開化」を進めます。日本独自の教育に西欧の文物を入れ、科学技術の進展と民度の向上を促します。五箇条の御誓文、軍人勅諭、教育勅語は日本人としてあるべき心性の形成に大きい意義がありました。日清・日露の戦役は世界に明治日本を示しました。陸海軍はこの戦いでともにその戦略戦術、個々の作戦戦闘に溌剌たる企図心を発揮し、積極柔軟な状況対応の中に、苦難に打ち勝ち国家と任務に献身する凄まじい軍人の姿を見ます。外国の観戦武官が列強の軍隊との比較の上で称賛を惜しまない戦例は多く、誇らしく思います。 現在の我が国、各界の惨状。輝ける明治を築きあげた父祖に対し申し訳ない想いに駆られます。明治の日本人の気宇と気概を今に。願いを込め祈りを込めて、筆を擱きます。 |
『日本の息吹』平成23年7月1日号「愛媛版」より転載 |
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h23. 7. 1