郷里への思い! 愛しく、懐かしく、暖かく
日本会議愛媛県本部会長
 重 松 惠 三
 郷里を離れて四十八年の年月を過ごし、九年前、郷里今治に帰って参りました。終(つい)の棲家(すみか)を、生を受け、育てられたこの地に得たことを有難く幸せに思います。

 医学者で詩人、木下杢太郎は郷里を「母親の乳房のようだ」と言います。自衛官として頻繁に、北に南にまた東京にと異動を繰り返し、二十八回転居しました。その間、何時も愛おしく、懐かしく、暖かく、有難く、熱い抑えがたい思いがするのが郷里でした。美しい自然、慣れ親しんだ山海の味、四季折々の催しや習俗、尽きるところ無き郷里への思いがありますが、何にもまして有難いのは郷里の人です。父母はもういませんが、兄弟あり、親戚あり、そして友がいます。杢太郎の言を借り、郷里が母の乳房であるならば、同じ乳房で育てられた郷里の人々はみな兄弟になります。同じ務めに就いているとその思いは一層強くなります。

 「豫山会」と言う旧陸軍の関係者が戦後作った県人会があります。もともとは愛媛県出身の将校の集まり「石鉄会」。シナ事変の拡大の伴い、士官学校、経理学校、幼年学校の生徒が増え、県出身将校の数も多数に上り、今までの集会所ではその目的とする相互の親睦、知徳の涵養、後進の誘掖指導にも支障をきたすほどに、手狭になりました。他県のように大きい新館を建設する要望が起こりその機運が大きくなりました。山下汽船社長・山下亀三郎氏はじめ県関係の財界名士が土地や基金を寄付し、会員の将校また相当の醵金をして、昭和十五年東京の東北沢に竣工しました。

 終戦後占領軍は旧軍関係の施設をすべて日本政府をして没収させました。「石鉄会館」もその対象です。しかしここで愛媛の人は愛媛のために、愛媛県人のために智慧を絞りました。会の目的を「愛媛県の青少年の育成、特に体育の振興を図り以って新日本建設の一助とする」とする財団法人「豫山会」を結成し、理事長には日本商工会議会頭、通産大臣に就いた屈指の実業家・高橋龍太郎氏、役員も県出身の著名人が名を連ねました。昭和二十四年のことでした。「石鉄会館」とその志は残りました。そのうち旧軍関係者もこの会に復帰しますが、このような例は他県には見ません。今は跡地に建てたマンションの収益を以って、毎年、愛媛県の体育協会、青少年育成協議会、VYS連絡協議会、青年海外協力隊を育てる会などを支援しています。

 現在は自衛隊のOBと旧軍関係者が会の運営に当たっていますが、私はこの会に郷里を愛し、郷党の繋がりを大事にする県人・伊予者の暖かい麗しい情を感じます。これでこそ郷里は愛おしく懐かしく有難いのです。そして終戦後の動乱期にあっても郷党の後進を育成すると言う志を持ち続けた旧軍の先達、財界の名士、に満腔の敬意と感謝を捧げます。今後、法人改革で公益法人でなくなるかも知れません。しかし「豫山会」に伝わる伊予の美風は受け継がれ、受け継がれて絶ゆることなきを祈りたいと思います。
『日本の息吹』平成22年7月1日号「愛媛版」より転載

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