憲法と現実の「ちぐはぐ」が日本の危機
日本会議愛媛県本部会長
 重 松 惠 三
 五月は休日が多く、花爛漫、爽やかな風が吹きわたり、あちこちでの祭り。洵に楽しい良い季節です。しかし浮かれておられない厳しい現実があります。それは日本国憲法と現実の「ちぐはぐ」です。 五月三日は憲法記念日。私は家に日の丸を二本立てました。近所に国旗を掲げる家が少ないからではありません。一本は素直に国民の祝日を祝い、もう一本は早く自主憲法の制定を、と願ってのものです。

 憲法と防衛は国家の基本ですが、この「ちぐはぐ」は特にひどい。安保条約改正から五十年の節目の春、社会民主党党首・福島瑞穂大臣が演ずる珍事を一つ。衆参両院で「自衛隊は合憲か、違憲か?」の質問に対し、「社民党は合憲か違憲かを決めていない」、「閣僚として答えられない」と答弁を拒否し、国会は紛糾しました。政府は合憲としているのです。三月二十三日成立の平成二十二年度予算には、当然のこととして防衛予算が含まれ、隊員の人件費や武器の調達費もこの中にあります。この予算案に閣僚として署名しておきながらこの答弁です。政治理念にも国家の基本にも整合なき政府の実態が浮かびあがります。

 これは、憲法前文及び第九条の平和主義と、国家が法律を以って防衛ために自衛隊を保有し、直接・間接の侵略から日本と日本国民を守ることを任務として与えている現実との「ちぐはぐ」です。歴代政府はいろいろな解釈の仕方によってこの「ちぐはぐ」の影響をある程度繕って参りましたが、それを認めない大臣がいる。日本危うし。懸念は募ります。

 日本国憲法が、形としては明治憲法の改正と言う手続きを取りながら、実態は日本の無力化を目指す占領軍によって作られたものを、占領政策の最重要事項として、戦に破れたわが国に平和主義・民主主義の名を被せて、押し付けたものでした。

 岸元首相は「連合国の初期の占領政策の基本は、戦争責任はすべて日本国民に負わせ、困難や屈辱はすべて自業自得とした。東京裁判はショウであり、日本人の精神構造を変革し、骨を抜き、モラルを破壊した。その集大成が憲法である。」と昭和五十八年に述懐しています。全て日本が悪いとするウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム。新聞は「太平洋戦争史」を掲載、ラジオは「真相はこうだ」を流し、日本の残忍と愚かさと悪業を暴きたて、アメリカの正義と善意を強調します。検閲による言論統制で真実は国民に伝わりません。教育・宗教の改革で魂を失います。町内会の解散、民法の改正で地域の繋がりも家族の絆もずたずた。優性保護法で生命と性の倫理の根幹が崩れる。等々、総司令部は実に一万の命令指令によって国柄と国民の心を変えました。この憲法により日本は国家と国民を守り、正義を行う力と、国民の自立自助、独立不羈の精神と誇りを喪失しました。

 吉田茂元首相は昭和三十九年、辰巳栄一元中将に「再軍備問題や憲法改正に関し、今となっては国防問題について深く反省している。日本が国力の充実した独立国家となったからには国際的に見ても、国の面目上も軍備を持つことは必要であった」と語っています。

 この時期に国家と国民がそれによって立つ憲法をめぐる問題を考えたいものです。
『日本の息吹』平成22年6月1日号「愛媛版」より転載

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