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(平成3年に韓国・慶州で失踪した大政由美さん) | ![]() |
《特別寄稿》 大政 悦子
拉致疑惑・・・・その母が語る
娘への想い、そして家族の絆
◆娘との最後の別れ
娘・由美は三重大学を平成3月25日に卒業しました。
同年1月頃、私は兄を連れタクシーで病院に向かっていた時、向こうから
来る可愛い女のお子さん?と思い見てたらすれ違った時「由美だ」と気
づきました。その夜「3年間、勉強をさせて欲しいと親の許可をもらいに
帰って来ました」と言い、考古学に興味を持ち、頑張りたいようなので
認めてやりました。翌日の夕方、普段なら一人で好きな時間に家を出て
本屋に寄り、友達と会うからと言っていたのに、その日初めて駅まで自
転車に荷物を乗せ送りました。主人も会社の帰りに会い、夫婦に最高の
笑顔で手を振り三重へ。そして3月24日の電話で、「お母さん韓国へ行
って来るよ、観光地だし治安も良いから心配しないでいいよ」と嬉しそ
うに言い残し、3月26日に下関からフェリーで念願の韓国に行き、3月28
日に行方不明となりました。
◆11年間の苦しみと友人の励ましのなかで
娘を可愛い子と思い、私達に最高の笑顔で手を振り別れたのは、
愛しい娘と暫く会えなくなるから、しっかり憶えてなさいよ、という虫の知らせだった
のでしょうか。娘の生死も分らない地獄でした。じっとしてたら息が詰まりそうなので、
数日は家の中を足が痛くなるほど歩き回りました。韓国の警察は戦後初の日本人行方不
明ということで、大掛かりな捜査を行って頂きましたが、何の手掛かりもありませんで
した。目の前は真暗で、辛く苦しい日々の中、これ以上の地獄はない、今後はどんな事
も前向きに考え明るく生きて行かねば、娘は絶対生きている、子供達の為にも負けるも
んかと、日々明るく笑顔で生きて行く決心をしましたが、心ない噂や、何も出来ない自
分に、写真の前で何度も泣きました。家族が誰も居ないとき「由美ちゃん、これが最後
よ明日からはもう泣かんよ」と言いながら、家族では由美の話しはタブーでした。人様
から由美の名前を聞くだけで、頭の中は真白で動悸がするような日々を送っていました。
だけど人の前では、常に明るく振舞っていました。私を支えてくれたのは友達で、娘の
ことは一言も話しませんが、「頑張れ、頑張れ」と声なき声援を送ってくれました。明
るく頑張り生きてましたら良い事がありました。愛媛拉致議連、県民会議、伊予市の連
絡会等、皆様の温かいご支援を頂いたことです。
◆6度目の訪韓-公表時の苦悩を乗り越えて
5月14日〜16日、県人拉致疑惑調査訪韓団の方々と8年振 りに6度目の訪韓をすることが出来ました。今までは食事も喉を通らず、体中ガチガチ で帰国していましたが、我事のように行動して下さる訪韓団の方々のお陰で、初めて笑 顔もでて食事もとれました。何より私共にとり大きな成果は、捜査課長様の個人的見解 ながらも拉致も視野に入れ捜査して下さるという言葉でした。
私自身は平成3年7月から、もしかして北朝鮮に連れて行かれた
のでは?と思っていました。証拠もありませんから誰にも話すことは出来ませんでした。
昨年北朝鮮が拉致を認めたことで、やはりとの想いで公表しました。決意するまで娘の立
場は大丈夫、危害を加えられるのでは、また拉致でなかった時の世間の風当たり等、だけ
ど今公表しなければ娘に2度と会えないと思い、生きている間に一目会いたい、叶わぬな
らせめて安否だけでも知りたい。恥もかこう、世間の中傷や批判など何だって親である私
が受ければよい、娘のことさえ分れば何も言うことはないと公表しました。それと娘のこ
とが忘れ去られるのだけは防ぎたかった、皆様に記憶して欲しいとの思いもありました。
◆一日も早く温かい家族のもとへ!
今は伊予市の地区別人権・同和教育懇談会に出席させて頂き、 1次・2次の署名のお礼と、「拉致はテロだ!今こそ経済制裁を!」の署名をお願いし ています。出かけることは多くなりましたが、娘に一歩一歩近づいていると思い、会 場の皆様のご声援を支えに頑張っています。出来ることは何でもしよう、人生を終え る時に後悔だけはしたくないと思っています。昨年9月17日、めぐみちゃん死亡と宣 告された横田早紀江さんの言葉を憶えておられますか?「人はいづれ死んで行きます。 めぐみは本当に濃厚な足跡をのこしていったのではないかと思うことで、私は頑張っ て参ります。皆様と共に戦って参ります」と言い切ったお母さんの言葉を。私は凄い と鳥肌が立ち深い感動を受けました。最近出版された『家族』(「拉致被害者家族連 絡会」編・光文社刊・1600円)という本に、「この会見をどこかできっと見ているだろ う金正日に負けてなるものかという思いで泣き崩れずに踏み留まった」と書いてあり ました。本書を読まれた或る青年の体験を県民会議事務局の方から届けて頂いたので 紹介します。
(以下引用 *要約)
その方は30代の青年。普通の 家庭に育ったが軽度の障害の上、また物心ついた頃に交通事故(親のミスで)で後 遺症の影響をうけ、特異な目で見られ、普通の人々のような人生は歩めず、周囲や 特に両親を強く深く恨み続けて来た。そして社会へ出てもうまく行かず人生に嫌気 がさし自堕落に陥り、自分がこうなったのは親のせいと、親に度々罵詈罵倒、人が 助言しても聞かず、次第に誰とも一切会わず無気力な日々を送っていた。そんな時、 ふと立ち寄った本屋でこの本を何気無く手に取り読み始めたところ、わけもなく涙 が溢れてきて、何度も何度も読み返し。次第に心にもう一度やり直そうとの思いが 湧いて来た。何よりも両親への強い憎みが次第に消え、自然と感謝の気持ちが育ま れ、「ありがとう」「おはよう」等と自ら進んで言葉が出るようになった。両親も 彼の心を知る努力をしなかったことを反省し、見違えるように表情に生気が蘇り美 しい言葉を出す姿に感激し、温かく励ましている。
拉致家族の人は、世論が注目 するずっと以前から活動をやっていた。言い古された言葉だが、子は何歳になって も親から見れば子供、親の限りない子への深い愛情と家族の絆の深さを感じる。彼 らが今拉致の真相究明に政府に経済制裁を求めている。経済制裁をすれば、子供や 家族はまず殺されるか、よくて強制収容所送り。それを覚悟で彼らは活動をやって いる。しかもその言葉が人の人生を変え、人の心に親への感謝や生きる希望を与え 救う。彼らは自分の悲しみを越え多くの人々を救っている。身を捨てみず知らない 人のためになっている、何と貴いことか。最近は青少年の殺伐な事件が続き、テレ ビや新聞などでは、これでもかと生命の大切さを説いているが、それで人生が変わ ったと聞いたことがない。所詮は言葉の遊び。でも『家族』には難しい言葉もなく 声高に説き伏した文章でもない、体験と心情が淡々と綴られてるだけ。それが読者 の人生を変え心を動かす。
温かい家族の元から、突然に 冷たい暗い自由のない世界へ引きづり込まれた拉致被害者、そして私達のように 疑いのある調査会発表の300名余りの中から、一人でも多くの方が一日も早く 故郷へ帰れますように、今後も温かいご支援とご声援を下さいますようお願い致します。
(文責、責任編集・事務局)
現在、「北 朝鮮による拉致問題を考える愛媛県民会議」では経済制裁を求める署名活動を、第1期 期間として年末まで、10万名を目標に推進しています。署名用紙は お一人10枚まで送料無料でお送りします。お知り合いの方に呼びかけ るなど、皆様のご協力をお願いします。
併せて、 大政由美さんの消息に関する情報を広く集めています。些細なものでも構いませ んので、皆様の協力をお願いします。
尚、大政 悦子さんのご講演の希望を時折頂きます。各団体や地域などの会合で招請される場 合は、事前に下記まで日程などをお問い合せ下さい。
「北朝鮮による拉致問題を考える愛媛県民会議」 電話089(973)9003
大政さんや二宮喜一さんなど、本県出身者はじめ日本人拉致 問題の早期解決へ向け、「北朝鮮による拉致問題を考える愛媛県民会議」は活動をして いますが、この活動はボランティアでの皆様により行われています。その活動資金は 心ある皆様方のご浄財でささえられています。皆様の温かいご支援をお願いします。
(郵便振替) 口座 01600-8-12513
名義「北朝鮮による拉致問題を考える愛媛県民会議」
(現金書留) 〒791-8036 松山市高岡町779-8