連載 『愛媛県出身の戦歿者たちの声』
―手記や手紙、遺書などからー

≪第5回≫
    二神 孝満
 愛媛県温泉郡重信町北吉井樋口出身。陸軍大尉、
   沖縄方面へ特攻出撃戦死。享年25歳。


 「遺  書」(昭和20年4月12日付け封書、ご両親に宛てて)
 拝啓 御両親様今まで御便りも度々差上げましたが これが最後となりました。

 この世に生を享けて二十五年、海よりも深く山よりも 高き親の恩と小学校時代より教えられて来ましたが、 今更思い出されます。末子と生まれ種々御両親、姉上、 兄上よりいつくしまれ、農家の子供として専門学校ま で行かせていただき、何と御礼申し上げてよいやら、 またこれという孝行も出来ず心残りです。だが今度は 最初にして最後の孝行をさせていただきます。これが お父さんお母さんよりうけた御恩にむくゆる最大の孝 行です。よくやったとほめて下さい。それが唯一の御 願いです。それをたのしみに僕はやります。

 後数日の命何も考える事はありません。毎日を北九州 の旅館で過ごして居ります。幼なかりし頃よりなれ親 しんだ故郷の山川、幼なかりし頃の想いではつきませ ん。御両親様末永く、あまり今となってはいう事もな く書く事もありません。

 三恵や当遡松山の子供達が大きくなったら、樋口のお じさんは、飛行機にのって敵の航空母艦に体当りして 戦死した、みんなもまけない様にしっかりやれといっ ておいて下さい。満州の兄さん、吉金の兄さん、松山 の兄さんの後の事はたのんでおきました。心のこりは 更にありません。御体に気を付けて、御大事に。

 二月二十五日、これは僕の誕生日です。この日に命令 をいただきました。その時の気持はさっぱりしたもの でした。飛行機にのり初めて故郷の空も飛んだし、思 いのこす事はなくおちついた気持です。僕が死んだ後 で、僕がどんな人間であったかという事が分かっても 許して下さい。特に学生時代はお父さんやお母さんの 考えていた様な人間でなかった事が多々ありますが許 して下さい。五明の七枝も大きくなった事でしょうね。 今夜は特にしずかで色々と想い出されます。いつまで 書いても切りがありません。

 御体に気を付けられて末永く、兄さんや姉さんによ ろしく。五明のみんなによろしく。松山のみんなによ ろしく。平井谷のみんなによろしく。先輩の後を追っ て靖国神社に行きます。
 なつかしい皆様、家、木、西の川、うらの山よさよ うなら。
 お父さんお母さん泣かないで僕の成功を祈って下さ い。

 もし成功のあかつきはよくやったとほめて下さいよ、 たのみます。
 死んだ姉さんもほめてくれるでしょうね。土産話も 出来ました。では孝満は元気で行きます。お父さん、 お母さん、姉さん、兄さん、永久にさようなら


 毎月1,2回程度、愛媛県出身者の戦歿者の声を紹介して行きます。 ご意見やご感想などを、どしどしお寄せ下さい。また、ご紹介して いる方について、ご存知のことや文献や資料などがありましたら、 愛媛県本部までご連絡下さい。
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 愛媛の戦歿者追悼の中心施設である護国神社、
また地域の戦歿者追悼の中心施設である
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 靖国神社に代わる新たな国立追悼施設を、ーー
        国民の力で阻止しましょう。

 ★日本の戦歿者追悼の中心施設はーーーーーー
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