守ろう!地域の戦歿者慰霊祭を
 伝えよう!
郷土の勇士たちの姿を

【地域の慰霊祭を基点として、
  靖国神社を守り、英霊を顕彰する活動の推進を】

 最近の靖国神社に代わる国立追悼施設問題、また昭和50年代には愛媛でも起こされた玉串料訴訟など、戦後から今日まで靖国神社や戦歿者慰霊の有り方について様々に議論され、いろいろな出来事が相次いで起こっています。私共では、こうしたなかで一貫して靖国神社が日本の戦歿者慰霊の中心施設であることを主張し、英霊の本当の姿や真情を伝える啓発活動を行ってきました。
ここ数年県下各地を訪れその地域の慰霊碑に参拝し、またご遺族や慰霊に関わっておられる方々と話をさせて頂いて実感したのは、県下には多くの慰霊碑や忠魂碑がありますが、それに地域の人々が関心を持たなくなり、慰霊祭自体が断絶したものもあるということです。遺族や戦争体験者が少なくなり、継承の危機に瀕しているものも数多くあります。靖国神社は日本の戦歿者慰霊の中心施設であるのと同様に、各県の慰霊の中心施設は各県の護国神社であり、私たちの住む地域の慰霊の中心施設は近くにある慰霊碑や忠魂碑であることはいうまでもないことで、日本人の伝統として承け継がれて来た国全体の慰霊の中心である靖国神社の形骸化や否定の動きは、各県や地域の伝統的な慰霊の中心施設にも大きな影響を色濃く与えているのです。

 人々が自分たちの住む戦歿者の慰霊に無関心になる、慰霊祭が断絶しても慰霊碑が荒れ果てても、何の憂いも悲しみも感じない、地域の慰霊断絶は、その地域から慰霊の心が完全に消え去ることを意味します。終戦までは遺族、戦争体験者に関係なく、郷土出身の戦歿者の御霊を慰め敬う営みは、地域住民全体で行われていました。慰霊がそれに関わる人だけで行われ、その人々が亡くなると絶えてしまうことは、国の為に戦い亡くなった人々の姿や生き方など事績が次の世代に伝えられなくなるという意味で、国や郷土の歴史の断絶に繋がることです。

 それは、昭和20年の終戦それに伴う占領、そのもとで憲法を含めた実施された施策、一言すれば「東京裁判史観」に根源があることはいうまでもありません。戦歿者慰霊の問題は、戦後の歴史観を見直し、日本本来の歴史や日本人の生き方を取り戻して行くことでもあります。

こうした意味で、危機に直面している靖国神社を中心とした日本の慰霊の有り方は、決して一つの神社の問題ではなく、各県や地域など日本全体の慰霊が危機に瀕していると言って過言ではありません。そこで自分たちの住む身近な地域の慰霊祭を守り継承して行く活動から、靖国神社を守り、日本の伝統的慰霊の継承運動を推進して行きたいと考えています。そのためには愛媛県下の慰霊祭の状況や県下の何処に、どんな慰霊碑や忠魂碑があるのかを知ることから始めねばなりません。

 ここでは、分かりやすい事例として、このHPでも紹介しています、「九軍神」について、今年12月8日に営まれた「九軍神慰霊祭」の模様を紹介します。


【九軍神慰霊祭・西宇和郡瀬戸町三机(平成14年12月8日)
〔特殊潜航艇戦歿者〕

 12月8日は先の大戦の開戦の日です。61年前のこの日、真珠湾攻撃では特殊潜航艇5隻による攻撃が行われ、9名が帰らぬ人となり、終戦までは「九軍神」として称えられていました。特殊潜航艇の訓練基地があった西宇和郡瀬戸町の三机では、昭和30年頃より毎年この日に、地元の青年団が中心となって9名の慰霊祭が営まれています。

 今年は小雨混じりの北風が強く、慰霊碑前ではなく近くの八幡神社の拝殿で営まれました。参列者は瀬戸町の青年に町長や三机区長、婦人会長など地元の方約20名に加え、私を含め日本会議3名と、全くの偶然ですがそれに遠く徳島那珂郡の日本会議会員の吉田租氏と長男と次男の3名が初めて参列しました。嘗て特殊潜航艇搭乗員の宿舎であり、今も旅館業をなさって戦歿者の資料が展示してある『岩宮旅館』の山本恵子さんも娘さんといっしょに同席しました。

 拝殿の正面には9名の遺影が掲げられ、午後4時から厳粛な神事が営まれました。神事では町長や区長と共に、若い青年も玉串を捧げ拝礼しましたが、正座をし、宮司の指導を仰ぎながら花や玉串を捧げる姿に、それを見守る周囲の温かい眼差しに感銘を覚えました。懇親会では、その若者が積極的に料理やお酒を配り周囲の人の世話をしていました。そこで町長さんと歓談する機会がありましたが、最近は人口の減少と共に、地元生まれの青年も少なくなり、今後の継続を心配しておられました。残念ながら瀬戸町以外の県内の日参列者は私共3名だけでした。マスコミはどこも取材に訪れていませんでした。それでも瀬戸町に何の縁もなく、戦歿者の遺族でもない私共を地元の方々は、心から暖かく迎えてくれました。

 付記として、また山本恵子さんの叔父で、岩宮旅館の資料収集や三机の慰霊碑建立の中心的存在であった岩宮満氏(現在は神奈川県在住)は、平成4年から日本会議の会員(年会費10,000円)として今も活動しておられることをご紹介しておきます。


地域の慰霊祭には、その地域独特の言葉に表現し難い雰囲気があります。それが承け継がれて来た伝統というものでしょう。また各地の慰霊祭を訪れ、慰霊祭は遺族や戦争体験者に関わりなく、御霊を慰め敬う人々が親しく和やかに集い交流する場、こうした場を通して戦歿者や先人の真情や生き方が語り継がれて行く顕彰の場であることを実感します。嘗ての日本人は、終戦まではこうして歴史や伝統を継承して来たのです。そうした場が近くにあることは、素晴らしい貴いことと思います。それが今、断絶の危機に瀕しているのです。それは日本全体の慰霊顕彰に関わることで、まず私たちの足下にある慰霊祭への関心を喚起し継承に努め、そこから日本の慰霊の中心で、遺族にとっては「聖地」ともいうべき場所である靖国神社と、そこに祀られている方々を末永く守り継承して行くことが肝要と思います。地域の慰霊碑はその拠点たるべき場所でもあるのです。

《皆様へのお願い》

写真集『愛媛の慰霊碑』−戦没者に捧ぐ鎮魂詩―
 【(財)愛媛友愛会編・1冊―2,500円】
お求め・普及にご協力下さい!

愛媛にも数多くの慰霊碑や忠魂碑が 各地に建立されています。それを皆様はご存知ですか。 自分の住む近くにどんな慰霊碑があるかを知っていますか。 地域の戦歿者へ関心を抱くためには、まず碑のある場所を知ることから始まります。

写真集『愛媛の慰霊碑』  写真集『愛媛の慰霊碑』−戦没者に捧ぐ鎮魂詩―は、平成5年に財団法人・愛媛友愛会により編纂されたものです。この度、愛媛友愛会のご協力を得て、皆様に1冊―2,500円(税込み・送料別)に広くお奨め・普及することと致しました。

 本書は県下慰霊碑や忠魂碑を、その大小に関わることなく、すべてカラー写真で紹介しています。約300ページにわたり愛媛県下の慰霊碑すべてを網羅した貴重なもので、他にこの種の書籍は全くありません。

 本書の最後には、愛媛と戦争のかかわりや国内外さらに県内の動きを、明治から戦後まで年表形式で紹介するなど、どなたでもご覧、お読み頂けるよう工夫されています。

 ぜひお求め頂くとともに、お知り会いの方にもお奨め下さい。きっと「自分の近くにこんな碑があったのか」と、驚かれるに違いありません。

 尚、本書は一般書店では全く取り扱っていません。愛媛県本部のみの取り扱いです。お申し込みは、日本会議愛媛県本部(下記)まで。

*送料は1冊―300円
       (代金は納品時に同封する郵便振替用紙でご送金ください)

今回、頒布と普及に格別のご協力を頂きました、愛媛友愛会ならびに愛媛郷友会と愛媛県軍恩連盟に衷心より御礼と感謝を申し上げます。

地域の慰霊碑や忠魂碑
 また慰霊祭に関する
 《情報や資料をお寄せ下さい!》

愛媛県本部では、地域の慰霊祭の継承や戦歿者や先人の顕彰に役立てるために、地域の慰霊碑や忠魂碑また慰霊祭に関する情報を集めています。
 皆様のお住まいやご存知のことがあれば、どんな小さなことでも構いませんのでお寄せ下さい。「ここにこんな慰霊碑があります」「ここでは、こういう方々により慰霊祭が営まれています」など、どんなことでもお気軽にお寄せ下さい。
 また、これらに関しましての写真や文献、また戦争体験者や遺族の体験などの資料をお持ちでしたら、お貸し頂けませんでしょうか。お借りした資料は、必ず責任を持ってお返し致します。
  お寄せ頂いた情報や、お借りした資料はご本人のご了解を得た上で、皆様にも公開し、さらに地域の慰霊顕彰活動に充分に活用させて頂きます。
 ぜひこの趣旨をご理解賜りまして、ご協力頂きますようお願い申し上げます。お問い合わせは、下記までお気軽にお尋ね下さい。


『愛媛の慰霊碑』のお申し込み、並びに情報と資料とお送り先*
790-0878 松山市勝山町1-7-20 友愛ビル202
日 本 会 議 愛 媛 県 本 部
電 話089−934−5422
FAX089−948−0072

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