8月30日の産経新聞で、ハワイで真珠湾攻撃に参加した特殊潜航艇の一隻が発見と
報道されました。一刻も早い引き揚げと返還が望まれます。
ところで、特殊潜航艇の訓練基地が西宇和郡瀬戸町の三机湾にあったことは
あまり知られていません。今は、慰霊碑が建立され(写真参照)、毎年開戦の日の
12月8日地元の人々により慰霊祭が行われています。
当時の三机湾の様子・・・佐々木半九(特殊潜航艇の特別攻撃隊指揮官)
*戦後の回想より
「三机といえば瀬戸内海南の出入り口、豊後水道に四国側から突き出した
佐田岬のなかほどにある。(略)村の人はみな純朴で親しみやすい人たちであった。
宿のおやじさんも息子が陸軍将校というのに、若い、きびきびした海軍の士官に
魅せられたのか、大の海軍びいきになって、商売気をはなれて気持ちよく彼らを
もてなした」
特殊潜航艇が発見されたのは、初めてではありません。昭和35年にも1隻が発見され、
36年に日本に返還されて、その後原形に復元されて、広島県江田島の海上自衛隊・
教育参考館に安置されました。発見された当時、アメリカ海軍のスポークスマンは次の
ように語っています。
「この特殊潜航艇による真珠湾の奇襲は、日本民族の気魄を遺憾なく発揮し、敵の心胆を
寒からしめ、世界を驚嘆させた。参加した特殊潜航艇乗員の英名は、全ての国民に知られ
”軍神”として崇敬されたことは、あまりにも有名である。
その後、この奇襲作戦はオーストラリアのシドニー、アフリカのディエゴスワレスでも
繰り返されたが、この50トン足らずの小艇に乗り、身命を賭して祖国のために戦ったその
ことは、たとえ戦争に敗れたとはいえ、日本民族の護国の精神が、きわめて崇高なものとして、
世界の歴史に残るであろう」
慰霊碑を案内します。
慰霊碑がある須賀公園です。島になっています。
公園入り口です。案内板の現在地です。
案内板です。九軍神慰霊碑は奥の方になります。
慰霊碑です。
慰霊碑は三机湾に向かって建っています。
「大東亜戦争九軍神慰霊碑」 内閣総理大臣 佐藤榮作書 裏側
九軍神慰霊解説板
拡大1
拡大2
対岸から見た慰霊碑です。
三机湾周辺です。
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