■八幡浜第一防空壕
○八幡浜市役所から徒歩10分足らず。八幡浜市幸町の愛宕山すそにある。
着工は昭和15年(1940年)5月、16年2月に竣工した。四国最初の本格的な防空壕である。日米開戦前からこのような大規模な壕をつくろうとしたのはなぜであろう。早くも空襲あることを予測していた関係者がいたのだろうか。
調べてみると皇紀2600年の記念行事として八幡浜が計画しており、昭和12年の防空法の成立で防空意識の高まったことが背景にあるらしい。
八幡浜警察により建設される。「空襲時の市民の避難場所」として計画し、実際には在日朝鮮人が建設工事に従事した。
○コンクリート造りで東西に入り口がある。高さは1.8メートル、幅1.2メートル。内部は全長15メートルのコの字形の通路があり、中の広いスペースは奥行き10メートル、幅4メートル、高さ2メートル。約200人が避難できる大規模なものであり、トイレ・洗面所も備えられている。
完成時は照明設備もあり、軍の施設以外の防空壕でこれほどの規模や保存状態をもつものは少ない。しかし、結局八幡浜には大規模な空襲は実施されず、米軍機による機銃掃射のみに終わった。その際は何度か市民が避難場所として活用したという。
○一般に知られるようになったのは平成13年(2001年)である。壕の前に戦後すぐ貝ボタン工場が建設されたため、入り口が隠されてしまったのである。更地化後、貝の残骸を片付けていて発見されたという。
入り口に看板があり、近くの店でカギを借りると自由に見学できる。

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