■面河・大成神社〜剣の御所
松山に置かれた三四三航空隊の司令として知られるのが源田実である。
戦後、彼は密命を受け奔走している。GHQの占領政策により、皇統の維持が懸念される事態となったからである。昭和天皇は戦犯として処刑され、皇室も破壊されるかもしれないという喫緊の状態の中、若い男性皇族をひそかにかくまうという計画が立てられた。
そのため隠れ家を準備せねばならない。源田以下一同は連判状をしたため、西日本各地へ散っていった。最終的に決定したのは宮崎県の山奥・上穂北村である。一同は入植者を装い建築に着手、昭和20年11月には行在所(あんざいしょ)を完成させた。ここは松山の「剣部隊」の名をとって「剣の御所」とよばれることになる。
その後、占領政策は皇統の維持に向かって舵が切られた。そのため隠れ御所は使われることなく、宮崎の山中にひっそりと残ることになった。
源田氏と親交が深かったのが愛媛の実業家・長岡悟氏である。彼は面河村・大成の生まれであり、のちにこの地に祖先が建てた大成八幡宮を再建している。源田は参議院議員などをながく務めた後、長岡が設立した松山市の南高井病院で亡くなった。
源田は、作戦のため造営した宮崎県の行在所について、「あれは日本の昭和史の特筆すべき太平洋戦争終戦時の貴重な史跡です。長岡先生の手で、皇室に関することですから静かにそっと、保存していただきたい」と遺言していた。
長岡氏はその約を踏んで行在所をたずね、土地の所有者と話し合い、大成神宮境内にある源田氏の埋髪塔に近いところに移築を終えた。平成9年のことである。
今も大成神宮では、年に4回大きな祀り事が行われている。1月の旧正月の歳旦祭、4月の花鎮祭、7月の夏越し祭り、10月の秋季大祭である。その日は多くの関係者で境内がにぎわう。剣の御所はふだん訪れてもその外観を見学することができ、当時の心ある人々がどれほど皇統の危機を覚えていたかを偲ぶよすがとなっている。
剣の御所

大成神宮

※大成神社へのアクセス
車:国道33号線御三戸より30分
バス:松山市駅バスターミナルから、
伊予鉄バス面河行きで面河村「渋草」で下車。
タクシー:「渋草」より10分。
|