今年の8月14日のからのお盆休みに家族でグアム島に行った。日本から3時間半のグアム島は多くの日本人が訪れる観光地であるが、我が家はグアム島は初めてなので第一印象を感じたまま述べてみたい。
到着したのは14日の夕方で、15日は言わずと知れた終戦記念日。チェックインの時に年配の従業員の方(日本人)に「明日は終戦記念日ですね」と声を掛けられた。やはりグアム島に住む日本人にとって戦争は切り離すことのできないものかと胸が痛くなった。この旅行では平和記念公園を訪れる計画を立てていたので、これは是非とも叶えなければと思った。
15日は要領よく島内を観光して廻ろうということでツアーに参加した。ガイドは鈴木さんという日本をリタイヤしてグアム島に住んでいる方である。一行はまず横井ケーブに向かった。この観光地は横井軍曹の発見に感動した韓国人の実業家(おそらく日韓併合時代には日本人だった)が作ったものだという。施設の入り口には『英雄・横井』の文字。鈴木さんによると、横井さんの発見で日本人の観光客が驚異的に増え、ホテルが増え、結果的に雇用が増えグアム島が豊かになった。横井さんはそういう意味でもグアム島にとって英雄だということで、妙に納得のいく説明だった。
入り口からケーブルカーに乗ってタロフォフォの滝に降りていく。スコールがあるせいか赤土が滝に流れ込んで泥水の滝になっていた。つり橋を渡って、さらに10分ほど歩いて横井ケーブ(これはレプリカ)に着いた。本物はずっと奥にあり、もっとしっかりしているそうだが、このジャングルに潜み続けた横井さんのすさまじい生活の一端をうかがうことができた。
この谷間には散策コースも作られているが、そこここに仏像やメモリアルの柱が置かれ祈りを捧げることができる。しかし、我々が驚いたのは谷間に鳴り響く日本の軍歌であった。軍艦行進曲、海行かば、出征兵士を送る歌…。同行した娘が『空の神兵』を覚えてしまうくらい繰り返し繰り返し流れていた。アメリカの領土であるこの横井ケーブで日本語の軍歌(日本語を理解していない彼らにとっては単なるBGMかもしれないが)がかかっていることに深い感慨を覚えた。この谷間では日本人将校が何人も自決されたというが、日本の軍歌がその方々の鎮魂歌になっているかもしれないと思った。
バスは海岸線に沿って車窓から主要観光地を見て走る。松山と呼ばれていたメリッツォを通りすぎると右手山側に草に被われた平地がいくつもあった。鈴木さんによるとそこは日本統治時代に水田だったそうだ。日本軍は水田を開墾し米を作ったという。アメリカはチャモロ人に食料切符を与えていたが、日本人は、働かざる者は食うべからずと言って自分たちの食料を作らせたという。一見厳しい治世のようだが、年配のチャモロ人の中には日本統治時代を懐かしがって、初めて労働の喜びを知った、日本語化教育といえども生まれて初めて学校に行くことができたと言う人もいるそうだ。
バスは北上を続けアッサンビーチを望む展望台に着いた。アッサンビーチはアメリカ軍の上陸地点で、この展望台は今は眺めの良い公園になっている。眼下の丘陵地がかつては激戦地だったとはとても思えないほどの長閑な風景である。展示されている写真と説明文を見ながら想像力を最大限働かせてはみたが、恐らく今の我々には考えられない戦いだったろうと思う。
昼食後、北部ジーゴにある平和記念公園に向かった。ここは最後の司令部がおかれた所で丹下健三のデザインした慰霊塔がある。展示館には仏像がおかれお参りをすることができた。片隅にはガラスケースに入れられた遺骨や遺品などが展示されていたが、展示内容は思った以上に簡素で、展示館や遺品などにも傷みがみられた。少し荒れたような様子を見て、日本人として恥ずかしく申しわけなく思った。
そこから少し歩いた所に叉木山司令部跡がある。3つの岩穴の前には線香が立てられ御供えが置かれていた。我々も日本の水と酒と煙草をお供えしたいと思い、日本を思い起こさせる銘柄のミネラルウォーターや清酒、煙草、線香を持参していたので、展示館と慰霊塔とこの司令部跡にお供えした。
この司令部の前庭は草が刈られきれいに維持されていたが、この公園の草刈りなどはボランティアの手に依るそうである。鈴木さんが「お心があればここの維持のためにいくばくかのお賽銭を」と言われたのは、ボランティアの1人としての止むに止まれぬ気持ちであったのかもしれない。この公園の維持は個人の力だけではどうにもならないところまで来ているのかもしれない。日本国の援助を期待したいと思うのは浅薄な考えだろうか。
今回は観光の前にどうしても慰霊はしておきたいとの思いで参加したツアーだったが、次回はもっと詳しく戦跡を巡ってみようと思う。我々が平和を謳歌できるのも亡くなられた将兵のおかげだということを忘れずにいたい。英霊のおかげで今の我々があることを肝に命じて、遊ばせていただきたい。同時に、この戦争でアメリカの軍人もチャモロ人も多く亡くなったことやグアム島の遺跡の多くが失われてしまったことも覚えておきたい。
今でもグアム島の観光客の90%は日本人だという。海で遊ぶ前に、ショッピングを楽しむ前に少しでもあの戦争で亡くなられた方々のことに思いを馳せてもらいたいものだ。
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