ザ リレーエッセイ 

会員リレーエッセイ 第5回

今回は、北条市の会員・日和佐健治さんです。
 日和佐さんは6、7年ほど前でしたか、日本会議加盟団体の一つの 行事に参加したのを機会に、日本会議との縁を得て活動されるよう になりました。強く印象に残っているのは、平成9年に戦歿者の真 情を描いた日本会議本部が製作したビデオ『天翔る青春』を一人で 10本以上普及。その後も毎年のように書籍を知人などに広く紹介さ れています。また映画会開催へ協力して頂いたり、会員もご紹介さ れるなど活動は多岐に亙っています。更に平成10年の建国記念の 日奉祝大会
(愛媛県民文化会館サブホール)では、「家郷を夢見ず 帝郷を夢む」と題して、参加者の前で意見表明をされました。

 今回の玉稿でも書かれていますが、30代でありながら神社の総代を され、日本の文化伝統の原点である地域の神社を守り継承する活動 を通じ、誇りある地域・国づくりを提唱され、私共の運動にも大い なる示唆を与えて下さっています。ぜひ熟読、ご愛読下さい。

 こうした地域の社や忠魂碑、そこに込められている先人たちの事績 の継承するネットワークづくりを、日本会議愛媛県本部では推進し ています。

 ぜひこの機会にご入会下さい。 尚、お気軽に感想や意見を、どしどしお寄せ下さい。


 愛媛県本部では、会員を広く皆様から募集しています。
 個人は年間5,000円から、団体・企業(法人)は年間10,000円から、
 どなたでも入会できます。

★今すぐ「入会のご案内」をクリック!

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「蘇る宮々−
    真新しさの中に悠久の時を刻む」
―伊 勢 神 宮 参 拝 紀 行―
日和佐 健治(35才)   
1 西行法師のDNAが私にも

 「伊勢に行きたい 伊勢路がみたい せめて一生に 一度でも」 と歌に詠われた伊勢神宮。35才の私にして今回5度目の参拝だか ら今がいかに平和で、時代を経て運輸旅客の便がいかに良くなった か、改めてありがたく思わないではいられない。今回北条市神社総 代会(平野修会長)の伊勢神宮参拝旅行が去る平成15年4月7日 から9日にかけて実施され、私も年度始めの多忙の時期であったが、 職場の上司、先輩諸侯のご理解を得て、松尾神社総代として参加 させて頂いた。聞けば先のご遷宮(平成5年、次回は平成25年が, 第62回式年遷宮大祭の予定)以来実に10年ぶりの本会の正式参 拝であった。

 私が、神宮にお参りさせて頂いて、いつも思う和歌がある。

  「なにごとの おはしますかは(※注)しらねども
     かたじけなさになみだこぼるる」

      ※注(原文 西行法師家集には『おはしますをば』とある)

 今から800余年の昔、西行法師(1118−90)が神宮に参 拝した時の歌である。西行は1180(治承4)年に至り、以仁王( もちひとおう)と源頼政が挙兵、伊豆の頼朝、木曽の義仲もこれに 呼応し、さしもの栄華を誇った平家も没落に向い始めたこの時期か ら6年間、伊勢の二見浦に草庵を結んだ。彼は仏家であるが、神宮 を尊崇していた。それは、こんな和歌も詠んでいることからもわか る。

  「さかきばに 心をかけむ木綿垂(ゆふし)でて
     おもへば神も ほとけなりけり」

 もともと神道も仏教も多神・多仏であり、他の宗教に対する寛容 性が強いことから、彼も違和感無く自然体で詠まれたものであろう。 日本人が諸宗派を超えて21世紀の今となっても、大挙参拝する 所以でもある。

 また哲学者西田幾多郎は、その著「善の研究」において、最初の 西行の歌を引用して「道徳の威厳は実にその不測の辺に存する」こ とも一面の真理であると語っている。彼はこれを、道徳は人性自然 の上に根拠を持つものでなければ成らないとする自律的倫理学の立 場から付言しているものである。

 少々話が堅くなったが、要はあの広大な神域に一歩入り、玉砂利 を踵に感じたとたんに、鳥肌が立ち、涙ぐんでしまう、私はこれと 同じような感覚を国歌「君が代」を斉唱する時にも持つ。その時頭 に去来するものは、数千年の太古よりこの日本列島に人々が渡り、 小さな集落がやがて大きな一つの国へと発展し、絶えることなく現 在に日本国が存在していること、その頂点に百二十五代の皇統を連 綿と受け継ぐ皇室をわが国民は推戴していること、いわば科学で割 りきれない人知を超えたものへの畏敬の念とでも言えようか?そし てその中にちっぽけな凡夫である自分が、今ココにささやかな時を つむがせていただいていることの喜びや幸せが、ジーンと胸に迫っ てくるのである。そして更に今回は、この夏三回忌を迎える母を憶 い、生前の親不孝をこの聖地に額ずいて詫びたい衝動に駆られてし まった。
 仏教徒でも有る私と800余年前に参拝した西行法 師、基本的なところで、DNAが受け継がれていることの不思議を 思う。神宮はアテネのパルテノン神殿に匹的する建築物と言ったの はドイツの建築家ブルーノ・タウトとか。ともに伝統、文化そして 何よりも国民性が凝縮している建物である。

2 祭礼奉仕少年団こそが健全 育成の要

 私は、先にも触れたが、平成7年から地元自治会長は元より、氏 子崇敬者各位の推挙・承認を得て宗教法人松尾神社の責任役員を仰 せつかっている。弱冠35才の浅学非才の身で、責任役員とは恐懼く の極みであるが、特に当時の自治会長から「責任役員6名の内1名 は後継者養成と組織の活性化のため若手を起用したい」とたっての 意向で、就任を決意した次第である。余談であるが、こんな物好き は全国的に居ないらしく最年少らしい。光栄では有るが、気恥ずか しさも有る。

 元来御祭りが好きで、敬神崇祖の念が厚い父祖を見て育ってきた。 毎年10月第一土曜日には、東予市の宮内神社裏の祖廟で祭祀を行 い、宮内神社で祭典を行う御当(おとう)と言う先祖祭りの行事 が連綿と一族の輪番制で、今も続いている。

 さて私自身は、北条市の生まれであるが、ココもお祭り好きの市 民が多い。小学校3年生になると地元自治会ごとに、少年団に入団 することになる。子供大将と呼ばれる責任者は中学校3年生の中か ら選ばれ、今でこそ少子化でやむなく女子を加入させた所もあるが (注1)、 本来は女人禁制でダンジリの提灯の火は特に童男の役目 とされてきた。(注2)  何も私は女性蔑視論者ではないが、世の中全ての事象を男女に機会 を与えることの徹底が、男女同権でも、男女共同参画社会の実現で もないと確信している。
(土俵の上に女が上がりたいだとー、
 日本文化をしっかり勉強なさいと言ってやりたいよ、そういう輩には。)
 (注1)【かく言う、ウチも去年から解禁】
 (注2)【これも電気配線となり、その意味するところが廃れてしまった】

 旅館・料亭は女将だから、また次行きたくなるもの。歌舞伎は女 性を御上の命とは言え排除したからこそ、あそこまで世界に通用す る我が国の最高舞台芸術にまで昇華されたのである。女性以上に女 性らしい男性による女形が生まれたのである。

 話が多少脱線したが、少年団に入ると上下関係は厳しく、まず先 輩には逆らえない、学校の色んな情報交換や、時には思春期関心の 的のエロい話も先輩から教わったりした。また近くの墓場まで肝だ めしを敢行して、度胸をつけたり,地域の習俗、伝承の言われなど も学習した。時には、どう考えても理不尽で合理性のないことと思 うこともあったが、自分たちが子供大将の歳になったら改善しよう と子供ながらに密かに誓ったりもした。一方学年が上がるごとに、 自覚と責任が求められ、最高学年ともなると、学校への届出書類や ら、地域の人々との打ち合わせ、いわばリーダシップや交渉術、表 現力も自然と養われて行ったのである。つまり少年団は、将来地域 を背負っていく子供達にとって通過儀礼的役割も為す若者宿であり、 世のため人の為に社会に役立つひとづくりの拠点でもあったのであ る。もちろんその原点は郷土愛である。
 しかしながらこれら昔ながらの良き美風は、年々廃れって行って おり信頼と尊敬に支えられた地域共同体の再生をいかにすれば良い かが、喫緊の課題であろう。

 そんな中、わたしたち松尾神社総代会では先年、祭神と神社縁起 を記した碑を境内地に建立することが出来た。それはダンジリをか いても、神輿をかいても自分たちの神社に誰がどのようないわれで 祀られているのか知らない子供達が大半だったからである。私は神 社の歴史を知ることは、地域の先祖の歴史を探究することであり、 国土(郷土)開拓の苦難に思いを馳せてこそ、心身ともに健全な人 間に育っていくのではないかと愚考する次第である。小さくとも村 社は地域コミュニティの心のよりどころであり、老若男女のいやし の源泉である。今後とも氏子各位の英知を集約しながら、松尾神社 の護持・発展に努力したいと考えている。

3 いよいよ暴風雨のなか参拝

 桜が散り始めた4月7日(月)午後10時40分発のダイヤモン ドフェリーで翌朝6時50分神戸港に着くと、今にも雨が落ちてき そうな天気。愛媛から載せてきた大型バスで、一路伊勢へ高速を走 らせて行く。昼前神宮宇治橋前に着くと外は暴風雨になっていた。一 路35名が傘をさして神楽殿に向った。まず神職による修祓、雅楽 が奏される中、献饌、続いて祝詞がご神前に奏上された。平野会長 の玉串奉奠でみなが拍手を打った。このあと、伊勢大神楽の倭舞、 人長舞、蘭陵王の三番が捧げられた。舞3番揃ってはめったに見る ことができないらしく、優美・勇壮な素晴らしい舞であった。そし て内宮(外宮は大雨の為翌日に延期)へ参拝を済ませた。

 さて何と言っても、旅の1番の楽しみは夜の宴会であろう。無事正 式参拝を済ませて、一同ほっとした表情。総代会長に続いて勝原政 朝神社庁北条市支部長(当時)の挨拶を頂き、安永成副会長のご発声 で乾杯となった。
 私はココで添乗員の献身的な動きに目が留まった。彼の名は伊予 商運トラベル(松山市三番町5−9−10)主任の山本祐二(32才)さ んである。彼とは以前から御縁があって知己の間柄だったが、御互 い多忙で今回十年ぶりの再会だった。その当時は彼も入社したてで 、私の職場に来るにも、上司と一緒と言うことが多かったのですが、 今回久々にお会いすると、威風堂々一人前のツアコンに成長してい た。彼も今は当時から付き合ってた彼女との間に二児を設け、伊 予市に家まで新築したと言う努力家である。

 その彼の仕事振りである。開会セレモニーの司会一式を取り仕切 り、寸暇を縫って食事をとるのかと観察していると、それもせず、 ひたすら盛り上げようとカラオケのオーダーを聞いて回っている。 本来なら、個性豊かな今晩のコンパニオンがすべきではないのかと 思った。私にできることは、何かパクつけるものをと、仲居に御結 びとウーロン茶を持ってきてくださいと要請したが、添乗員さんに も、同じ御膳がありますといって断られ、結局、ウーロン茶だけ持 ってきてもらったのを、山本さんに手渡したことぐらいで、胸が打 たれ余り酒も飲めなかった?! でもその差入れはすごく喜んでくれたらしい。

 私も公私とも旅行は数知れないが、愛媛の皆さん、私が保証致し ます!こんな配慮が出来、的確な判断と迅速な行動が出来る添乗員 は他に見たことがありません。手当てを出しているのだから、その くらいのサービスは当然だと言われる方が居るかもしれない。だが マニュアル化されたサービス以上の附加価値を彼のひたむきさに見 たのである。彼の嫌味の無い心地の良い頑張りに心底すがすがしい ものを感じた。伊予商運トラベルは良き人材をお持ちだ。また配車 の奥島観光さんもグレード高くって大変良かった。神宮前の数ある バスにも引けをとらず、恥ずかしく無かったよ。ドライバーの三好 さんの運転は文句のつけようが無く、ガイドの堀内さんも、時間が たつごとに好感度を上げていた。

4 大人の健全育成に『日本の息吹』をどうぞ

 今回神宮を久々に参拝させていただき、ニ千年の昔から変わらぬ たたずまいを垣間見、そして、気高さと神秘に満ちた神域に身を投 じさせていただき、心身ともに新たなパワー【力=御かげ】を頂い た。
 今回その行程を通じて内にあっては、各位との懇親を深め、更 なる組織の発展を誓い、外にあっては十年ぶりに再会した山本さん の成長振りに目を見張り、年下ながら、私もかく有りたいと心を新 たにすることが出来た。そのきっかけを与えてくださった、天照大 御神をはじめとする神々に感謝である。

 ただその原点は、各地域にある小さな社である。またこれまでの 戦禍に倒れた人々の御霊を祀る、忠霊塔である。この双方の祭祀を おろそかにして、境内の維持管理をないがしろにして、伊勢も靖国 もあったものではないのではないでしょうか? 天下国家を論じる前 に、身近にある神社を守り立て、忠霊塔に頭を垂れてこそ、一段とそ の運動が光を増すと思う。
 さて聖地から無事帰郷してまた日常生活が始まった。すると、些 細なことで同僚と口論したり、手を貸すことを渋ったり、逆に、影 口をたたかれたり、足をすくわれたりと、玄関一歩外に出れば戦場 である。時には心に鬼を宿してしまう。それが人間のさがと言うべ きものだろう。

 そんな時、すさみ穢れた心を浄化し、癒してくれるのが、『日本 の息吹』なのである。各界の有識者のご文章を拝読していくにつれ 、邪心が良心に変容していく自分に気付く。モノ、金を超えた領域 にこそ、真の人間としての道が拓けると、教えられるこの『日本の 息吹』、どうぞ御一人でも多くの県民の皆様にお薦めしたい。

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*既にご入会頂いている方は、お知り会いの方をご紹介下さい。


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