ザ リレーエッセイ |
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新企画として、今回から「会員リレーエッセイ」をスタートします。
県下で生き生きと活動する会員の姿や体験などを、1ヶ月ないし2ヶ月
毎に紹介して行きます。第1回目は越智郡の船員、渡辺伸吾さんです。
お読みになってのご感想やご意見をお寄せ下さい。
媛県本部では、会員を広く皆様から募集しています。個人は年間50
00円から、団体・企業(法人)は年間10,000円から、どなたでも入会
できます。
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戦歿者の真情を伝え 地域の慰霊の灯を継承して行くために (越智郡 渡辺伸吾・47歳) |
日本会議との出会い 今年も12月8日が間もなくやって来る。歴史に残るこの日、毎年今治市 で行われる旧海軍出身者の会合に参加したところ、ドキュメント映画『 天翔る青春』(日本会議制作・平成9年)○注が上映された。今を去る 5年前である。これが私と日本会議との出会いであった。映画を見て感 動して以来、講演会に参加し多くの知遇と書籍から知識を得ることが出来た。 そもそも私が歴史好き、特に戦史に興味を持つ発端となったのは、小学 校へあがった頃だろうか。母と先祖の墓参りに行った時のこと、ひなびた 漁村の部落を見下ろす高台の墓地の上に、島四国八十八ヶ所で有名なお大 師さんの札所があるその横の高台に、一際当たりを睥睨するかのごとく高 い墓を見て母に尋ねると、「ああ、あれは戦死された軍人さんの墓だ」と 教えてくれた。 母は合掌すると、私を手招きして一つ一つこの墓は誰それ、どこそこで 戦死したことを訥々と説明し、大正生まれの母は、「皆出征する時は村々 の者総出で港まで見送ったものじゃ、りっぱに名誉の戦死を靖国神社に眠 っておる」など。はて出征とは、靖国神社とは…幼き私の心に焼きついた。 後に知ることになるが、よき思い出である。
恩師と30年ぶりの再会
地域ゆかりの勇士顕彰のために特殊潜航艇の返還を 以前、昭和30年6月米海軍潜水隊の学生により、真珠湾口東側にあ る珊瑚礁海底で一艇が発見され、7月15日米海軍救難隊の手によって 引き揚げられ、関係者の尽力により日本に返還され、海上自衛隊の輸送 艦によって運ばれ江田島の海上自衛隊第一術科学校に安置されている。 また別の一艇は暗礁に座礁した後、無念にも浜辺に打ちあげられ人事不 省に陥った後、唯一捕虜になられた酒巻少尉艇である。この艇は引き揚 げられた後に戦意高揚のために全米各地を巡回して公開された。 特殊潜航艇の訓練基地があったわが愛媛の三机を、かねてより訪ねた いと希望していたが、発見の報にいてもたってもいられず、「九軍神」 の慰霊碑に頭を垂れた。三机湾―よくもこんな狭い所でと感嘆し、しば し絶句、海を眺めた。搭乗員の宿舎であった旅館にも往時を偲ぶ貴重な 遺品や遺書などが残されていた。酒巻少尉が昭和21年に帰国後、何度 も三机の地を訪れたと聞くが、戦後の旅館とのやりとりも残されており、 感無量であった。読ませて頂いたが、滲むような情愛に満ちた手紙と葉 書である。酒巻さんはあらゆる誹謗、中傷に耐え平成11年11月、8 1歳でひっそり亡くなられた。酒巻さんを含めて「十勇士」に対し、謹 んで哀悼の意を表したい。白石哲朗氏が『祖国と青年』誌という雑誌の 10月号に特殊潜航艇の投稿記事を切々と訴えていたのは、心を動かされた。 私の住む吉海町郷土文化センターに郷土史家が大東亜戦争に関するス クラップブックを寄贈していたのを見つけ、資料の中から「九軍神」当 時の新聞報道を読む機会を得た。実際に公に報道されたのは昭和17年6月。 その翌日に新聞で報道されている。その中に吉川栄治氏が一文を寄せて いるのを紹介する。
『太平洋の軍神』(中略)
地域の慰霊祭や文化の継承のために日本会議へ入会を!
※注『天翔る青春』
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トピック エピソード 渡辺さんは元自衛隊員。今は船員をされています。不規則な仕事に も拘らず、入会以来仕事の合間に『日本の息吹』や日本会議発行の書 籍やビデオなどを多くの人に奨め、『日本の息吹』の感想を必ず、電 話やメールで送って来られます。また雑誌、新聞にも積極的に投稿し、 最近では北朝鮮による拉致事件や台湾の李前総統の来日問題について の投稿が地元紙に掲載されました。時間を見て国への想いを綴り、マ メに手紙や葉書を頻繁に認める姿に、思わず頭が下がる気持ちになり ます。少しでも国や地域のために役立つことをしたいという活動的な 方です。人に接しても謙虚で常に明るい真摯な姿勢は、会う人に感動 を与えています。かかる日本人ここに有りとの感を深くします。
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